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1055. おてんとう様 [宗教的感覚]

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                             相田みつを氏の書

 ローマ教皇ベネディクト16世は、「この世は悪魔が支配しており、そこから神の力を得て人々を救い出すのがキリスト者の努め」と書いています。(「ナザレのイエス」)

 確かに、自分の保身のためなら兄をも殺す某国のK委員長など、世の中には悪魔に支配されているとしか思えない人々がいます。こんな支配者から国民を救えるものは、国民自身の「正常な判断力」です。そこで私達教員は、生徒達に「幅広い知識と教養」「豊かな情操と道徳心」「健やかな身体」を培う事が求められています。(教育基本法より) これは責任重大です。

 私は加えてもう一つ、公立学校では無理ですが、昔から日本人にあった「おてんとう様はいつも見ている」といった宗教的情操を家庭で養う事が必要だと感じてます。「私の信じる神だけが正しい」と考える、いわゆる原理主義者がどの宗教にもいて、多くの人々に宗教的情操を誤解させています。どんな宗教も人間を弱い存在と捉えます。自分の危うさを認識し、その不安を神を信じる事で払拭しながら勇気をもって進む生き方こそ、正しい生き方だと私は思っています。

 「あやまちや失敗をくり返したおかげで 人のことをいう資格のない自分に気がつきました。」  相田みつを氏の言葉です。

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名言 : 「だまされたと思ってやってみな」と言われたが、私はそんなに簡単にはだまされない。(四風連打)

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1044. 真理 [宗教的感覚]

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                        スイスの神学者 カール・バルト (1886~1968)

「Veritas Liberabit Vos  ~ 真理はあなたたちを自由にする ~ 」
 私の勤務校の校訓です。最初にこれを見た時、ビビッと胸を打たれました。「仏教の四諦と同じだ!」と感じたからです。四諦とは、悟りに到る以下の四つの真理です。
 ①苦諦 (人生とは、自分の自由にならないものである。)
 ②集諦 (それを自由に変えたいと思う煩悩が苦を生む。)
 ③滅諦 (したがって、煩悩を消せば苦は消滅する。)
 ④道諦 (そのための修行法が、八正道である。)

 まだまだ未熟な私ですが、仏教を知ってからは感情の起伏の少ない人生になった気がします。またキリスト教の「罪人の自覚」(私だっていつああなるか分からない。)を通して、大分楽に人を赦せるようになりました。そして老子・荘子の道家思想から、人や物事に価値づけしない生き方のすばらしさに気づかされました。これらの「真理」は、確かに私を身軽にしてくれています。

 今日、また一つ真理を得ました。神学者カール・バルトが、講演会で一人の受講者から「あなたの思想を一言で言えばどうなるか?」と聞かれた時の話です。すると彼はニッコリ笑って、昔母の膝で聴いた讃美歌『主われを愛す』の一番を歌ったそうです。
 「主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ」
私は弱くても大丈夫と励ましてくれます。皆さんも是非、この歌詞から元気をもらって下さい。

〇讃美歌「主われを愛す」
https://www.youtube.com/watch?v=WqxUwDBdCvg

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名言 : 「五十歩百歩」とは「たいして変わらない」という意味だが、五十歩と百歩じゃかなり差があると思う。 (I)

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1021. 霊 [宗教的感覚]

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                           東日本大震災 (仙台市内)

 昨日9月11日は、東日本大震災から7年半目の月命日であり、ニューヨークの同時多発テロから17年目の命日でもありました。不本意に亡くなった方々の無念さがひしひしと伝わってきます。ところでそんな霊の中には、親族にその存在を知らせる霊があると、読売新聞がノンフィクション作家の奥野修司氏のルポを通して報じています。

 熊谷常子さん(60)は、震災の3か月半後の6月30日に兄の小友利美さんの遺体を確認しました。翌7月1日に従妹と一緒に役場で死亡届を書いていた時、メールが入りました。届を出し終え見てみると、それは亡くなった兄からで、一言「ありがとう」と書かれてありました。二人は茫然とその場に立ち尽くしたそうです。3日後の火葬の日、兄の友人達にそれを見せようとしたら、それは消えていました。詳細は下のサイトを見てみて下さい。

 皆さんはこの話信じられますか?今の私はすんなり信じられます。世の中、私の知らない事の方がはるかに多いと思っているからです。また亡くなった方々からいつも見られているという感覚が、自分にプラスに働いているとも感じるからです。いつご先祖様からメールが来ても安心して開けるよう、恥ずかしくない生活を送らねばと思っています。

〇読売新聞の「大宅賞作家が記録した3・11後の『霊体験』」の記事
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20170809-OYT8T50014.html?page_no=1

〇同新聞の「ひとりで死ぬということと『お迎え現象』」の記事
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160915-OYT8T50018.html?from=yartcl_awst

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川柳 : 今年もだ 野郎二人の 夏祭り  (骨)

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1019. 仏の自己 [宗教的感覚]

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                             松塚豊茂島根大学名誉教授

 北海道の巨大地震では19人が亡くなりました。ご冥福をお祈りします。いつどこで亡くなるか分からない私達、どんな生き方を心がけるべきでしょうか。

 島根大学の松塚豊茂名誉教授が、仏教的な安住の境地は、「ニヒリズムを通り抜けた所にある」とおっしゃいます。大雑把にまとめてみました。

 「『どう生きても、人生ははかなくつまらない』と考えるのがニヒリズム。一方『自分の力ではどうにもならないものをどうにかしようとする』のが迷い。そんな時、『どうにもならないものにも意味がある』と発想を180°変え、さらに『そこが大事』と180°変えてみる。すると360°回った世界は元の世界と同じだが、そこにはじたばたしない自分がいる。寂しさや虚しさを積極的に受け入れるこの境地を、道元禅師は、

『 峰の色 谷の響きも みなながら わが釈迦牟尼の 声と姿と 』
      ( 私の周りに起こる全ての出来事が、仏の真理なのだ )

 と歌った。嬉しい悲しいは人間の相対的な世界。全てを絶対的に肯定する自己が仏様の自己。」

 すごい、すごい。早くこんな達観した境地にたどり着きたいものですね。

○松塚豊茂先生の対談 (「心の時代」の書き起こしなので長めです。)
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-778.htm

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川柳 : 使えない 引くのが面倒 古語辞典 (ケビィン)



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1009. 理稀ちゃん発見 [宗教的感覚]

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                        藤本理稀ちゃんを発見した尾畠春夫さん

 2歳の誕生日を、一人森の中の水辺で迎えた藤本理稀ちゃんの精神力と運の強さには驚かされました。一方15日の朝6時に現場に軽トラックで駆けつけ、30分後には理稀ちゃんを発見した尾畠春夫さん(78)の直感もスゴイ。何もかもが、私達には奇跡のように見えます。

 尾畠さんは13年前に魚屋の店をたたみ、その後は東日本大震災や熊本地震、今年の七月豪雨など、災害で困っている人がいればじっとしていられず、軽トラックで駆け付け、ボランティア活動に打ち込んでいます。活動を支える収入は、年金だけだそうです。かなり濃いキャラの語り口調ですが、「世間に恩返し」との言葉には心打たれます。「〇〇のために」といった打算がありません。「彼に国民栄誉賞を」との声もネット上に流れていますが、彼の純粋さの前では名誉も金銭も逆にそれを汚しそうに思えてきます。

 理稀ちゃんにとって、その時のおじちゃんは神様のように見えた事でしょう。尾畠さんにとっても理稀ちゃんの発見は神様のお引き合わせのように感じたのではないでしょうか。今回の出来事は、私達に「神様は邪心のない所に現れる」という事を学ばせるために起きたような気がします。

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名言 : 何年経ってもしゃべれないイクラちゃんを見ていると、切なくなる。  (みっきみき)

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998. 理性 [宗教的感覚]

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                オウムを産んだバブル期の退廃的な風潮 (ジュリアナ東京のダンス)

 オウム真理教の死刑囚13人全員の刑が執行されました。私はこの大量の死刑執行が、ふと江戸時代のキリシタンの弾圧とかぶって見えました。どちらも危険思想とみなされて殺されているからです。しかし決定的な違いは、イエスは徹底した非暴力主義者であった点です。ミッションスクールに勤務して、私は迷った時には「イエス様ならどうするだろうか?」と考えるようになりました。すると自然に答が見えて来ます。この一呼吸考える余裕を与えないのが、オウムのようなカルト集団です。

 オウムが誕生したのは1987年。人々が「バブル」に狂い始めた時期でした。土地や株での財テクがブームとなり、日本の地価総額は2000兆円。米国全体の4倍にまでふくれ上がりました。株価も89年に史上最高値の3万8915円をつけています。この浮かれた風潮に疑問を抱き、物質への執着を捨てて禁欲生活に希望を求めた人々が、各種の宗教に入っていきました。そんな中、オウムの教祖松本智津夫は「ハルマゲドン(人類最終戦争)」による終末思想で人々の不安をあおり、次々とインテリ達の理性を麻痺させていったのです。

 人生は、神様と自分との協同作業で築き上げていくものです。そのためにも、理性はいつもしっかり働かせておきたいものですね。

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川柳 : 暇なのか 無駄にツイート 多い人  (Fメロメロ)

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975. 勘違い [宗教的感覚]

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                           高野山の修行僧

 高野山の40代の男性僧侶が、連続勤務のせいでうつ病になったと、寺院に860万円の未払い賃金等を求めて提訴しました。訴状によると、男性は2008年に寺院で働き始め、就業時間は午前5時前から午後11時まで及ぶ事もあり、寺院側に安全配慮義務違反があったとしています。

 これを読んで、私はこの記事が原告を「僧侶」と呼んでいる点が気になりました。というのも、修行と労働は全く別物だからです。修行とは、俗世の垢にまみれた自分を本来の自分に戻そうとする試みです。自分一人では甘えが出るので、厳しい場や先達を求めて寺院に入ります。したがって僧侶の行住坐臥の全ては修行であり、そこに賃金といった対価を求める労働は入ってきません。

 確かに憲法18条には、何人も「その意に反する苦役に服させられない。」とあります。しかし僧侶は、この「苦役」を積極的に求めた人です。だからそこに自分を合わせるしかありません。意識が変わらない限りこの「僧侶」の毎日は辛そうです。皆さんも、進路の選択にはくれぐも注意して下さい。


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名言 : 出費抑えると決めても、限定品で金が減る。  (マリオネット)

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968. 静と動 [宗教的感覚]

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                    この赤ちゃん坐りの中に、坐禅の理想があるそうです。
静と動
 皆さんは、手のひらの上にほうきを垂直に立てて何秒間かバランスをとった事ありますか。私は小さい頃から結構得意で、数分間は大丈夫です。そのコツは、手を固定化せず小刻みに動かし続ける事です。倒れそうな方向が微妙に分かるのですぐ修正できます。

 一昨日の坐禅会で、座禅の心構えを説く「坐禅読本」(藤田一照著 曹洞宗宗務庁)を読み、一つの発見をしました。目からウロコだった部分をまとめると次のようになります。

 座禅中、私達は自分の体を坐禅の理想の形に固定化しようとしますが、それは間違っています。正身端坐とは体幹の軸と重力の方向が一致した状態を言います。自分の視覚や身体感覚、平衡感覚などを手掛かりに「自分にとっての正身端坐」がどのようなものかをどこまでもフレッシュに探求していくプロセスが坐禅なのです。

 坐禅は「静」ではなく、自分の体の中を意識して、体幹と重力の一致点を探し続ける「動」の修行なんですね。真剣に求めれば、考え事や居眠りは出て来ません。和尚さんは、このたとえとして手のひらに垂直に立てたほうきの例をあげられました。私はその瞬間、納得できた気がしました。自分を固定化せず微調整し続ける、これは人生にも通じそうです。

 正身端坐は、最初からどこか体軸のあるべき位置としてあらかじめ決まっていて、そこに自分の体軸を一気呵成に合わせていくというのではなく、常に未知のものとして、自分の視覚や身体感覚、平衡感覚などを手掛かりにして、今の自分にとっての正身端坐とはどのようなものかをどこまでもフレッシュに探求していくという事です。ですから、良い姿勢がいったんできたらそれでおしまい、あとはそれを維持するだけというものではなく、座禅の間中ずっと、正身端坐がさらに精密により正身端坐化していくというダイナミックなプロセスが続いていくのです。しかし、考え事をすればたちまち坐相が凝り、居眠りをしたら途端に坐相から気が抜けますから、正身端坐のプロセスから逸れてしまいます。(坐禅読本 P.34)

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川柳 : 何書こう 背中かいとけ 母は言う  (オーユー)

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952. 偶然 [宗教的感覚]

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                         「偶然」を文章化してくれるキーボード

 皆さんは、毎日見ているお母さんの顔を紙に描けますか?たぶん描けないのではないでしょうか。そう言う私も描けません。私達は、目に入ったもの全てを認識しているような気がしていますが、決してそうではありません。だから「見るために描く」事を専門とする画家が出てきました。

 同様に私のブログも、あらかじめ決めていたものを打ち出しているのではなく、パソコンの前に座った時偶然思い浮かんだ言葉をキーボードで打ち込んでいるだけです。私はこの「偶然」にいつも神様の存在を感じ、ここまで続いてきた事に感謝しています。だから私の場合は、ブログは「聴くために打つ」ものです。大変生意気ですが、この頃の私はそんな自分の人生が悪くなるはずがないと思え、残りの人生を楽しみにしています。

 人生では、偶然としか思えない形で神様はチラチラ私達にその存在を示して下さいます。是非偶然の出来事に出会ったら、単なる偶然と片付けず、そこに込められた意味を読み取る努力をしてみて下さい。きっと人生観が変わると思いますよ。

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名言 : 授業中のあと10分は それまでの40分より長く感じるものである。  (K)

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944. 運命 [宗教的感覚]

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                               J.マーフィー牧師

 私達は「運命」は変えられないと思いがちですが、この「運命」を変える事ができるものを私達は持っていると、勤務校の付属幼稚園の園長先生が披露されました。それは「思考」です。先生は、次のマザーテレサの詩を読み上げられました。

 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 J.マーフィーも、「全ては、あなたが心の中で考え、感じ、信じた結果である。」と言っています。私も経験的に、出来るだけ具体的に思考する事で夢は実現できると信じています。(No.751) 自分の中にいる神様を、しっかりと信じましょう。

 校長先生も、先日の始業式でこの詩を生徒達に伝達されました。

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川柳 : とりあえず 笑っておけば 大丈夫  (T.S.)

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933.出エジプト記2 [宗教的感覚]

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                             ミケランジェロのモーセ像

 前回の二つの謎に対する私の考えです。(教会的な正解かどうかは判りませんが。)

 ①なぜ神はモーセを殺そうとしたのか。答は妻のためです。神はモーセを殺す気など毛頭ありませんでした。ただモーセと苦労を共にする妻にも深い信仰心を得させようと、あえてモーセが神に殺されそうになる場面を作りました。そしてそれは「妻が息子の体を傷つけてもモーセの命乞いをしたので、神はモーセを赦した」という構図になり、夫同様妻も心から神を信じられる心境になりました。

 ②なぜ神は何度もエジプト王の心を頑なにさせて、イスラエルの民の帰還を阻ませたのか。答はイスラエルの民のためです。もしエジプト王が奇蹟一回ですんなり帰還を許したら、彼らの中には「エジプト王は良い人かも。」と、帰還を拒む人が出たかもしれません。しかし11回もの奇跡を見ても信じない頑なな王にイスラエルの民は落胆し、全員が帰還を求めました。こうして神は、周到な配慮の下にイスラエルの民を全員無事にエジプトから脱出させたのです。

 しかし私は、ここに選民思想のユダヤ教の限界を感じてしまいます。この「イスラエル人だけが救われる」を、「全ての人間が救われる」という万人平等の思想に広げたのがイエスでした。

** 高校生のコトバ *************************

川柳 : 父親は 都合が悪いと すぐイジケル  (N.K.)

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932. 出エジプト記 [宗教的感覚]

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           モーセに導かれてエジプトを出るイスラエル人

 教員の聖書講読会で、旧約聖書の「出エジプト記」を読み始めました。旧約聖書はストーリーが分かりやすく、まるで紙芝居を見ているように展開します。

 かつてエジプトでは、イスラエル人はエジプト人の奴隷でした。モーセはイスラエル人ですが、不思議な運命でエジプトの王宮で育ちました。彼はある日悪いエジプト人を殺してしまい、隣国に逃げ込みました。ところが後に、そんな彼の前にイスラエルの神が現れ、「イスラエル人をエジプトから救い出せ」と言うのです。今で言えば、脱北者に「北朝鮮の収容所から人々を救い出せ」と言うようなものです。

 モーセは抵抗しましたが、最後は使命を感じて承諾します。この時、モーセ80歳。頑ななエジプト王の前で12回もの奇蹟を行い、イスラエル人を無事エジプトから脱出させました。

 しかしこの間、神はモーセを殺そうとしたり(妻が助けます)、エジプト王の心をわざと頑なにさせたりと、理解に苦しむ動きをします。なぜだと思いますか?私は、この種の謎解きが面白くてなりません。私の考えは次回書きます。皆さんも、是非ミステリーを読む感覚で旧約聖書のこの部分を読んで、謎を解いてみて下さい。(出エジプト記 第1~14章)

○旧約聖書のネット版
  http://bible.salterrae.net/kougo/html/exodus.html

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名言 : 人の振り見て我が振り直せる程の人間なら、もう直す必要はない。 (H.K.)

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928. 祈り [宗教的感覚]

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                                作家の高村薫氏

 幼稚園の時、お弁当の前の「天のお父様、今ここにいただくご飯を感謝します。アーメン」というお祈りが実に苦痛でした。ところが、成人し高幡不動尊に参詣し始めてから、祈りに対する考え方が変わってきました。今は、毎朝職員室で行う数分間のお祈りが気持ち良くてたまりません。座っていても背筋が自然に伸び、両手が合わさります。シスターのお祈りと聖書解説が、清らかな清水のように心にしみ込んできます。

 作家の高村薫さんが東日本大震災後の岩手県の被災地で見た風景を語っていました。肉親を失い正常な生活を壊された人々は、ひたすら僧侶にすがります。「人々は何宗かも問わず、とにかく畳に額をすりつけて祈ります。」「祈りは、内的な衝動のように見えました。」「祈る事で自分が楽になります。」と。

 現代は、目まぐるしい速さで職業が盛衰し、大量の情報に見なくてよいものまで見えてしまう時代です。そんな中で自己決定を迫られる私達。この価値変化の激しい状況に震災直後の被災地が重なります。今の私にとって、祈りは呼吸の一部になっています。

** 高校生のコトバ **************************

名言: 育てるsodateruことは、おだてるodateruことである。(sをとれば) (K.A.)

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925. 帰天 [宗教的感覚]

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                                理事長先生のご冥福をお祈りします。

 先日、勤務校のシスターでもあられる理事長先生がお亡くなりになりました。先生は月一回、聖堂礼拝で心に沁みる良いお話をされ、私はそれらをメモに書いて時々このブログにも載せさせていただきました。(No.177 204 243 486 790)

 私や多くの先生方はショックで一日中沈んでいましたが、シスターの先生方は、(もちろん悲しみをこらえていらっしゃるのでしょうが) 大量の仕事を平常通りに淡々とこなしていらっしゃいました。カトリックでは死を「帰天」と呼びますが、この語感が彼女達の凛とした強さの理由と感じました。

 私はかつて死後の世界に興味があり、臨死体験について調べた事があります。体験者によると、人は死ぬと「①自分の姿を上から見る。②安らぎが訪れる。③暗いトンネルを通る。④明るい場所に出る。⑤亡くなった親族に会う。⑥自分の一生を走馬灯のように見る。」の順に進むそうです。皆さんは信じますか。

 初任校でこの話を生徒にしたら、「俺のいとこがバイクで事故った時、『自分の人生がスライドのように見えた』と言ってた」と一人の男子生徒が声を上げました。


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名言 : 他人に言えるのに家族には素直に言えない一言、「ありがとう」と「ごめん」。  (青じそ)

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922. マインドフルネス 2 [宗教的感覚]

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                        高野山大学 井上ウィマラ教授
マインドフルネス その2
 高野山大学の井上ウィマラ教授は、マインドフルネス(No.820)がご専門です。先生は曹洞宗とビルマ仏教の両方で得度されました。マインドフルネスとは漢訳仏教で「念」と書きますが、「今」の「心」をそのまま観察する事です。

 瞑想修行中、先生には解けない謎が一つありました。それは、仏典に書かれた
  ①自分の呼吸を観察せよ。
  ②相手の呼吸を観察せよ。
  ③自分と相手の呼吸を交互に観察せよ。
の②と③の意味でした。

 そこでカナダに渡り心理療法を学びました。ある時セラピストが、「相手が何を話すかではなく、どういう息遣いで話すかを観察しなさい」と教えてくれました。その時「これだ」と腑に落ちたそうです。マインドフルネスは赤ちゃんとのコミュニケーションにも役立つと気づき、これを社会に還元しようと決意し還俗しました。結婚して今は大学生と病院スタッフにマインドフルネスを教えていらっしゃいます。

 アナウンサーから、「どうして僧職を貫徹されなかったのですか?」と尋ねられた先生は、「それでは、人生の半分しか生きた事にならないと感じたからです。」と答えられました。この正直さもマインドフルネスの修行のたまものと感じました。
 
○高野山大学のホームページの中の井上ウィマラ教授紹介ページ
https://www.koyasan-u.ac.jp/info/teacher/wimara_inoue/

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名言:何事も90%まではいく。問題は残り10%。  (オバ旧)

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920. 執着 [宗教的感覚]

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       「生ぜしもひとりなり、死するもひとりなり」と語った一遍上人

 Eテレの「心の時代 ひとりゆく思想」で、86歳の宗教哲学者山折哲雄先生のお話をお聴きしました。先生の教養の深さは驚くばかりです。最近、蔵書の大半を処分したそうで、書斎の中はすっきりしていました。捨てた理由は、「知識の重みは人を苦しめる」と気づいたからだそうです。私は軽い方なので「よかった」と内心安堵しました。「執着が強いほど、死の恐怖は強い」ともおっしゃいます。

 親鸞上人が20年間修業した比叡山延暦寺を下山した理由も、「僧侶が国家と結びつくと執着が出るため」でした。時宗の一遍は全てを捨ててはだしで全国を回り、踊り念仏を広めました。さぞかし身も心も軽かった事でしょう。

 きっと東日本大震災の津波で全て失った方々の心の中には、私が絶対に立ち入れない境地があるに違いありません。一遍上人はあえてそこに身を置き、山折先生もそこに入ろうとされていますが、私はまだまだ執着の虜です。でも「無理して背伸びするくらいなら俗人でいいや」と、半分開き直っています。

** 高校生のコトバ **************************

川柳 : 最近の 便利なものほど 地球に悪い  (A.A.)

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918. 金メダルと神様 [宗教的感覚]

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                           表情が一変してフリーの演技に入る羽生結弦選手。

 羽生結弦選手、金メダル二大会連覇おめでとう!!!

 彼の4年前の金メダルは、東日本大震災で彼の自宅と練習リンクが壊された後でした。今回の金メダルも、昨年11月の右足首じん帯損傷という大けがを乗り越えて掴んだものです。くじけそうになる幾多の試練を希望と努力で乗り越え、しかも「メダルは応援してくれる方々のおかげ」とあくまで謙虚に語れる結弦君は、人間の理想の生き方を私達に示してくれているようです。彼を見て、私は「神様は人間社会の中にいる」と感じました。

 大半の日本人が彼を応援し、演じ切った時は感動で目を潤ませたのではないでしょうか。あの時の彼は、日本だけでなく世界の人々をも一つにまとめました。これもまた神様の業と感じました。

 さらに彼は優勝後のインタビューで、「右足が頑張ってくれた。右足には感謝の気持ちだけです。」と答えています。「優勝できたのは、多くの方々や自分の体のおかげ」と感謝している時、彼自身は消えているかのようでした。この時は、「無我の境地に仏が現れる」という仏教の教えを思い出しました。

** 高校生のコトバ **************************

川柳 : 女子の前 ひたすら歩く バレンタイン  (ミッチー)

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915. 知りたい? [宗教的感覚]

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                                        奥の深い相田みつを氏の言葉

 人生は「先が分からない」からがんばれる、と私は思っています。(No.41) ところで皆さんは、次の中で知りたいものいくつありますか?

 〇恋人の心の中         〇自分の死因
 〇母親の将来の命日  〇自分の知能指数 
 〇自分の健康状態   〇将来の結婚相手の寿命
 〇自分の一生     〇自分の子供の一生

 私は、どれも知ってしまったら暗澹たる気持ちになりそうなので、一つもありません。これらが「分からない」から、私は希望を持って生きています。その意味で私は「知る権利」ばかりでなく、「知らされない権利」というのがあってもいいと思っています。教員は毎年健康診断があり、結果を知らされます。ありがたいのですが、「手遅れ」と言われて覚悟の決まる人生の終わり方もいいかナと感じている私は、少々複雑です。

 昔は「死後の世界」だけは知りたいと思っていました。しかし今は、何を考えても私の有限な思考の範囲内と思うと、これも分からないままの方がいいと感じています。ただ私の直感は常に「ないはずはない」とささやいています。

** 高校生のコトバ **************************

川柳 : テレビ見る 姿勢が同じ 家族だね  (K.N.)

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913. ミッションスクール [宗教的感覚]

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                                       勤務校玄関前に立つマリア像

 私の勤務校は私立のミッションスクールです。だから、「生徒達はキリスト教教育に期待して入って来る」という前提で教育しなければなりません。先日、神父様をお招きした研修会が開かれました。テーマは、「カトリック学校と他の学校との違い」です。神父様が、「違いは、『本当に自分は神様に救われている』と生徒に実感させる事です。」と語られました。

 私の高校時代は、宗教的実感とは全く無縁の日々でした。(No.48) その後、挫折や失敗を重ねていく内に、「待てよ、無謀な夢が叶わないという事自体、自分が神様に守られている証拠なんじゃないか」と思えるようになりました。ここに気づくまでには、かなり時間がかかりました。だから、ミッションスクールとは言え、多くの生徒達にこれを実感させるのは無理だろうナと感じました。

 では教員はどうすべきか?私は、神の救いを実感している教員が、「いずれ必ず実感する時が来るから、私の体験を信じなさい。」と生徒に語るしかないと思っています。生徒から信頼されている教員の言葉であれば、生徒達は期待してその時を待つ事でしょう。そしてそのような指導のできる所が、ミッションスクールなのだと思います。

** 高校生のコトバ **************************

川柳 : 4時間目 ご飯の事で 頭一杯  (うめぼし)

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908. 坐禅 [宗教的感覚]

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                        永平寺の親子体験座禅会

 昨日の座禅会で、ご住職から次のようなお話がありました。曹洞宗の開祖道元禅師は、「修証一等」と言って「坐禅の修行と悟りは一つ」とおっしゃっています。私達は「悟るために修行する」と考えて座禅に臨みますが、道元禅師は「その考え方を捨てよ」とおっしゃるのです、と。その時私は、「じゃ、何のために?」と考えてしまいました。

 カントも、人々に好かれるために行う慈善活動は、動機が不純なので「善い行為」とは言えないと言っています。何かの目的のための手段となってる行為は、道徳的ではないと言うのです。恋愛も、結婚するためにするのではなく、それ自体が楽しいからしてしまうものです。こう考えると、坐禅も「悟るためにするのではない」という所は、何となく分かるような気がしました。

 ふと感じました。67歳まで日常生活に不便を感じない体力を頂戴している私は、日々有難く授業をさせて頂いています。せずにはいられない、というのが本音です。この感謝の気持ちは、義務感で感じているのでもなく、感じたくて感じているのでもなく、意思とは無関係に湧き起こってくるものです。もしかしたら座禅もこれと同じように、「せずにはいられない」という感覚に近いのかな、とも感じました。学ぶほどに自分の無知を感じています。

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川柳 : 自己採点 何度やっても 変化無し   (いちごみるく)

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865. 祝福 [宗教的感覚]

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        ヤコブとエサウの和解 (フランチェスコ=アイエツ 1844年制作)

 読書会で旧約聖書の創世記第25~36章を読みました。少しずつ新約聖書と旧約聖書の違いが分かってきました。ここはイサク(No.840)の子供達エサウとヤコブの確執と和解の話です。

 『兄エサウは「長男の権利」を弟ヤコブに譲ってしまったため、父イサクが代々受け継いできた権力・財産・土地・子孫繁栄などの「神の祝福」を得られなくなった。それを根に持つ兄から身を守るため、ヤコブは母方の叔父の所に身を寄せた。しかし二十年後、彼はそこを逃げ出した。追手の叔父とヤコブはその後「神の祝福」によって和解し、さらに兄エサウとも再会する。兄弟は「神の祝福」を得て和解する。この後ヤコブは神から祝福されてイスラエルという名をもらう。』

 「神の祝福」は、旧約聖書では「現世的な富」や「神の加護」です。しかし新約聖書ではイエスは「現世的な富」を嫌い※1、さらに「神の加護」ではなく「主の御心の実現」を願っています。※2 新約聖書では、「神の祝福」は感謝の対象であっても、人が神に求めるべきものではないのです。一民族の生存のための宗教が、イエスによって民族や生死を越えた万人の希望の宗教に変革された事を感じました。

※1 マタイ5-3 「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。」
※2 マタイ26-39 「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」

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川柳 : 花火より 女子の目先は イケメンだ  (きのこの子)

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856. 聖堂朝礼より [宗教的感覚]

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                                 お釈迦様

 昨日は聖堂朝礼の日でした。「内戦で苦しんでいる方々の平和な生活を願ってお祈り致しましょう。」というシスターの言葉でお祈りが始まりました。続いて宗教科の先生から、「いつの時代でも、理想を実現しようと思えば戦いが待っていました。」というお話がありました。ふと、「この二つは両立可能なんだろうか」と考え込んでしまいました。理想を平和裏に実現する…、難しい課題です。

 今台頭している宗教的原理主義は、妥協を許さず暴力的に主張を貫きます。実はムハンマドがそうでした。一方イエスは暴力を使いませんでしたが殺されました。しかしその心は今も生きています。仏陀は?彼は人を見て法を説いたと言われます。だからあまり敵の話が出てきません。世界三大宗教それぞれです。

 私は自分には仏陀のやり方が一番合っていると感じます。問題は、話の通じない相手にどこまで自分を合わせられるかです。私はその前提に「まず飲まいん。」といった共感を求める姿勢が重要だと思っています。これって結構日本人の得意分野なのではないでしょうか。

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名言 :  取り組む苦しさから逃げると、できない苦しさがついてくる。  (玉ちゃん)

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851. 「ナザレのイエス」より [宗教的感覚]

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               ミケランジェロの「聖家族」

 イエスの母マリアはとても有名なのに、なぜ父のヨセフは有名ではないのか?長年私はこれを不思議に思っていました。

 先日から「ナザレのイエス」(教皇ベネディクト16世著)を読み始めたら、早速その答に出会えました。本の中にヨセフについて「イエスの養父は…」と書かれてあったのです。「そうか! マリアとヨセフは許婚 (いいなずけ) だったから、その段階で授かったイエスはヨセフの嫡出子ではないんだ。」と気づきました。イエスが「父」と呼ぶ相手はいつも天の神様なんですよね。

 まだ十分の一も読んでないのですが、もう一つ発見がありました。
「人間の言葉というものは、その人に意識されていた以上の意味合いを含んでいます。人は、彼自身が担われている歴史の中から、そして未展開のままに現存している未来の共通の歴史の中から語っているのです。」
 このブログも850回を越えましたが、不思議とネタが尽きません。この文章から、自分一人で書いてると思ってはいけないと自戒しました。

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川柳 : 少しだけ ゲーム始めて 日が変わる  (甘エビ)

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840. アブラハムの試練 [宗教的感覚]

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           映画「天地創造」のタイトル画面。

 昨日の聖書読書会で、以前このブログで書いた旧約聖書22章の「アブラハムの試練」を読みました。(No.600) 短い箇所なので、内容は本文下のサイトで見て下さい。

 「なぜ神はアブラハムに理不尽な子殺しを命じたのか?」が話題になりました。「彼の信仰心を試すため」という回答が多数派でしたが、私は疑問を感じました。「なぜ全知全能の神が、百歳でも子供を授ける程愛したアブラハムを試す必要があったのか?」というものです。

 アブラハムは百%信仰の人でした。だから翌朝すぐに出発し、すんなり息子イサクを生け贄台に載せました。途中イサクから「生贄はどこにいるの?」と聞かれても、「神が準備して下さる。」と答えています。彼は、この「試練」の先に待っている何かを、むしろ期待の眼差しで望んでいるように見えます。案の定、最後に神はアブラハムに子殺しの中止を命じ、生贄用の雄羊も発見させました。

 私は、この出来事はイサクに本物の信仰とはどのようなものかを示す鮮烈な教育になったと感じます。したがって「試練」という形はとっていますが、私はこれを神からアブラハム親子への大きな「ギフト」と思っています。

○旧約聖書22章「アブラハムの試練」
http://kokubuec.net/bible/bible028_2.html

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川柳 :  同じ服 着た人見ると 目をそらす   (翼)

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827. ミッションスクール [宗教的感覚]

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            12月になると校内に至る所に飾られるリース

 皆さんが親なら、宗教的なAと現実的なBのどちらの教育をしますか?

1. A「神様を信じよ。」 B「人生、神頼みするもんじゃない。」
2. A「人の言葉を信用せよ。」 B「世の中は何事も疑ってかかれ。」
3. A「未来の事は心配するな。」 B「将来に備えて貯金せよ。」

 Bでしょうね。66歳の今の私は、次のように考えています。基本は1-Aです。しかし、自分の人生は自分と神様との協同作業で歩むものなので、自分の義務を果たさずに神様に頼るだけの生き方は間違いです。だから1-Bも真実です。

 2-Aや3-Aの生き方も、自分の知識や洞察力を高める努力をしなければ、B型の一部の人々に見られる「自分一人でも生きられる」と考える生き方同様にとても危ういものになります。

 私は、自分を「帆船の船長」、神様を「追い風」のように感じています。追い風が吹かない時は、自分の航路選択が間違っていた時です。神様の追い風を信じ、自分の人間力を高め、他者と協力して生きる所に最高の人生が待ってると信じます。ここを堂々と教えられるのが、公立高校とは違うミッションスクールのメリットです。

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どどいつ :  いつもは当たらぬ 賭け事だけど どうでもいい時 当たるもの (Y.S.)

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823. 信じる事 [宗教的感覚]

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                          飲まず食わずで70年生きているというプララド・ジャニ氏

 インドに、飲まず食わずで70年間過ごしてきた老人がいるそうです。名前はプララド・ジャニ氏 、87歳。その真偽を確かめるため、インド国軍が病院内の24時間カメラを設置した部屋で彼を15日間閉じ込めて検査したところ、何と彼はその間食べないだけでなく大小便も全くしませんでした。あなたはこの話を信じられますか?

 私は不思議な出来事や話が大好きで、これまでも実験や稽古を続ける中で、「気」の存在や植物がその「気」を感じている様子は実感出来ました。(No.719 No.179) ここから手に入れた教訓は、奇蹟(=人間がまだ理解できていない事実)の実現には「信じる事」がとても大切だという事と、同時にそれはとても難しいという事です。今の私は、何事も100%信じればその通りになると信じています。だから世の中あまり怖くありません。

 今は人間不信の渦巻く時代ですが、皆さん、まずは一番身近なご両親の言葉を100%信じてみませんか。きっと何かが変わってきますよ。

〇プララド・ジャニ氏のニュース
http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201606_post_10014.html

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名言 : 忘れたいことほど頭に残る、覚えておきたいことほど忘れてしまう。 (H.T.) 

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820. マインドフルネス [宗教的感覚]

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              NHKの番組「助けて!きわめびと」より

 イライラから私達を解放する「マインドフルネス」についてのNHK番組を見ました。講師は米国でも講師をされている木蔵シャフェ君子さん。

 私達がイライラしている時、私達の意識は過去や未来に向いて雑念に飲み込まれています。マインドフルネスはその意識を「今この時」に戻し、様々な「気づき」を通して雑念から自分を解き離していく瞑想法です。

 まず楽な姿勢で坐り、目は閉じても開いても良く、自分の呼吸だけに意識を集中します。吸う息はゆっくりと迎え入れ、吐く息は最後まで見送ります。これを繰り返している内に雑念が浮かんできますが、それに気づく事が大事です。気づいたらまた呼吸に意識を戻します。この繰り返しで、私達はイライラから抜け出せるそうです。番組では一呼吸からでも始めてみませんか、と呼び掛けていました。

 この一つ事に意識を集中するという行為は坐禅や気功にも共通しています。私がそれらのお稽古をした後スッキリした気分になるのは、これなんだと気づきました。(No.719)

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名言 : 友と自分、自分の方が大切だから、多少の裏切りもあり?!  (4)

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806. 願い事 [宗教的感覚]

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              高幡不動尊金剛寺不動明王像

 昔、高幡不動尊の川澄菅主が、「たくさんお願い事をして下さい。」とおっしゃるのを聞いて、私は「変な事を言うなあ」と感じました。願って分不相応な大学に合格したりしたら、まじめにやってる人が馬鹿を見ると感じたのです。

 しかし一方で私は、自分の結婚、教員採用試験の合格など、散々お願いをして叶えてもらってきました。この自己矛盾をどう解決するかに悩み、金剛峯寺の和尚様にもお伺いしましたが、語られた内容は川澄貫主と同じでした。(No.659)

 ある日、突然「願う事と叶う事は違う」と気づきました。多くを願う事は多くの目標を持って人生を歩む事です。しかしその願いが当人に妥当か否かは、神様の方で判断される事です。(No.207) お寺はその願い事を取り次ぐだけです。

 先日高幡不動尊に参拝した時、私は自分は願う事がない事に気づきました。願おうが願うまいが、私が準備できたものから神様は願った以上のものを与えて下さいます。この歳になると、合掌には「ありがとうございます」が一番合ってると感じます。

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狂歌 : 友達に 自分自身を 見せること 簡単そうで 難しいよね   (プリン)

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796. お釈迦様との会話 [宗教的感覚]

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            イラストレーターから尼僧になった勝本華蓮氏

 ラジオ番組の中で、尼僧の勝本華蓮氏にアナウンサーが尋ねました。

 「お釈迦様の所には多くの『悩める人』がやって来たようですが、どの人も即座に悟りを得るような回答を得たとあります。なぜそんな事ができたのでしょうか?」
 「お釈迦様は、人それぞれに合ったたとえ話で説かれたという事が一つ。さらに、話された内容がきっとそんなに難しくなかったんだと思いますよ。一言で言えば『執着を捨てよ』という事です。」

 ここまでなら、私も授業の中で何度も教えている所です。ところが突然アナウンサーがしゃべり出しました。

 「『執着を捨てよ』とは、執着している『何か』を捨てよという事ではなく、自分にとって都合の悪いものを他のものから『区別する心』を捨てよという事なんでしょうね。『悪い』と『良い』を分ける事も一つの執着なんですよね!」

 確かに今の自分にとって都合の悪いものであっても、仏様の大きな目で見れば全て必要なものに違いありません。このお二人のやり取りが、まさに先の『悩める人』とお釈迦様との会話のように思えました。


〇同じくNHK「こころの時代」の番組の文字起こし
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-473.htm

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名言 : 恥ずかしい事情けない事、隠そうとすると見てる方はよけい情けなくなる。  (レモン)

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794. 穴 [宗教的感覚]

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          修復中の、石膏で再現されたポンペイ市民の遺体 (ネットより)

 紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火は、時速100km以上の火砕流と高さ5mに及ぶ火山灰で、ポンペイ市を一日で消滅させました。埋もれた市民の遺体も腐食し消滅しましたが、それは固まった火山灰の中で人の形の空洞となって残り、後に考古学者がそこに石膏を流してその姿を再現しました。

 以前読んだ仏教の本の中に、「人は空中に空いた穴」という話がありました。

 私達の体は空中に空いた穴なのです。そこに豚肉のタンパク質や水、ほうれん草のビタミン、牛乳のカルシウムなどが一時ギュッと詰まっているのですが、やがては汗や垢、エネルギーとなってそこから出ていきます。この出入りは休む事なく続いています。これが仏教の「諸行無常 (あらゆるものは変化している)」「諸法無我 (変わらないものは何もない)」です。私達は元来何もない穴であり、そこに「ご縁」あって様々な構成要素が集まり、人々との出会いがあり、今があるのです。だから出会いに感謝し、今を堪能し、これからの変化を楽しみに生きていきましょう。

 良いお話でした。

○人間の細胞の更新速度 (作成者・出典不明です。参考程度にどうぞ。)
https://sites.google.com/site/jinntainosaiboukousinnsokudo/

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名言 : 一日でやめても、三日坊主。   (Y.S.)

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