851. 「ナザレのイエス」より [宗教的感覚]
先日から「ナザレのイエス」(教皇ベネディクト16世著)を読み始めたら、早速その答に出会えました。本の中にヨセフについて「イエスの養父は…」と書かれてあったのです。「そうか! マリアとヨセフは許婚 (いいなずけ) だったから、その段階で授かったイエスはヨセフの嫡出子ではないんだ。」と気づきました。イエスが「父」と呼ぶ相手はいつも天の神様なんですよね。
まだ十分の一も読んでないのですが、もう一つ発見がありました。
「人間の言葉というものは、その人に意識されていた以上の意味合いを含んでいます。人は、彼自身が担われている歴史の中から、そして未展開のままに現存している未来の共通の歴史の中から語っているのです。」
このブログも850回を越えましたが、不思議とネタが尽きません。この文章から、自分一人で書いてると思ってはいけないと自戒しました。
「人間の言葉というものは、その人に意識されていた以上の意味合いを含んでいます。人は、彼自身が担われている歴史の中から、そして未展開のままに現存している未来の共通の歴史の中から語っているのです。」
このブログも850回を越えましたが、不思議とネタが尽きません。この文章から、自分一人で書いてると思ってはいけないと自戒しました。
** 高校生のコトバ **************************
川柳 : 少しだけ ゲーム始めて 日が変わる (甘エビ)
コメント 0