SSブログ

1959. 人間 [宗教的感覚]

image.jpg
                             教皇フランシスコ

 昨年12月、仙台地裁の民事裁判で和解が成立しました。原告は70歳のクリスチャンの女性。24歳の時教会の司祭から性的暴行を受け、その後の抗議にも教会側から無視され続けたためPTSDになり、その損害賠償を求めたものです。教会側が330万円を支払う事で和解しました。この種の事件が後を絶たない事に心を痛めた教皇フランシスコは、昨年11月にこれまでの教会のあり方を一部自己批判しました。

 この報道を見た時、私は聖職者と呼ばれる人でも、数の中には善人の仮面をかぶった悪人が必ずいるものだと感じました。翌日、勤務校でシスターにこの考えを話したところ、彼女は、
「いえ、先生。どんな人でも弱いものです。」
と、諭されたのです。私は恥じ入りました。私は人間を「善い人」「悪い人」と固定的に分類したのですが、彼女は人間を「弱いもの」と可塑的に見ているのです。善にも悪にも簡単に変わりうる人間、この見方こそイエスのまなざしと感じました。

 教会を含めて、どんな組織も所詮は弱い人間が集まってできています。したがって、組織には人を間違いに陥らせないための予防的な規約と、万一陥った人が出た場合の更生に資する援助手続きが求められます。もちろん今回のように被害者がいる場合には、組織として誠実な対応が何より大事です。コンプライアンスが宗教団体にも必要な時代となりました。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : いつからだろう、先に希望を見い出せなくなったのは。  (しいたけ)

nice!(87)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

nice! 87

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

1958. 『令和の虎』|- ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。