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968. 静と動 [宗教的感覚]

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                    この赤ちゃん坐りの中に、坐禅の理想があるそうです。
静と動
 皆さんは、手のひらの上にほうきを垂直に立てて何秒間かバランスをとった事ありますか。私は小さい頃から結構得意で、数分間は大丈夫です。そのコツは、手を固定化せず小刻みに動かし続ける事です。倒れそうな方向が微妙に分かるのですぐ修正できます。

 一昨日の坐禅会で、座禅の心構えを説く「坐禅読本」(藤田一照著 曹洞宗宗務庁)を読み、一つの発見をしました。目からウロコだった部分をまとめると次のようになります。

 座禅中、私達は自分の体を坐禅の理想の形に固定化しようとしますが、それは間違っています。正身端坐とは体幹の軸と重力の方向が一致した状態を言います。自分の視覚や身体感覚、平衡感覚などを手掛かりに「自分にとっての正身端坐」がどのようなものかをどこまでもフレッシュに探求していくプロセスが坐禅なのです。

 坐禅は「静」ではなく、自分の体の中を意識して、体幹と重力の一致点を探し続ける「動」の修行なんですね。真剣に求めれば、考え事や居眠りは出て来ません。和尚さんは、このたとえとして手のひらに垂直に立てたほうきの例をあげられました。私はその瞬間、納得できた気がしました。自分を固定化せず微調整し続ける、これは人生にも通じそうです。

 正身端坐は、最初からどこか体軸のあるべき位置としてあらかじめ決まっていて、そこに自分の体軸を一気呵成に合わせていくというのではなく、常に未知のものとして、自分の視覚や身体感覚、平衡感覚などを手掛かりにして、今の自分にとっての正身端坐とはどのようなものかをどこまでもフレッシュに探求していくという事です。ですから、良い姿勢がいったんできたらそれでおしまい、あとはそれを維持するだけというものではなく、座禅の間中ずっと、正身端坐がさらに精密により正身端坐化していくというダイナミックなプロセスが続いていくのです。しかし、考え事をすればたちまち坐相が凝り、居眠りをしたら途端に坐相から気が抜けますから、正身端坐のプロセスから逸れてしまいます。(坐禅読本 P.34)

** 高校生のコトバ *************************

川柳 : 何書こう 背中かいとけ 母は言う  (オーユー)

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