SSブログ

1947. 功利主義 [地歴公民科]

img_13d70a5e4490ac13b91d788c4cac5ca4250401.jpg
                             J.S.ミル  (1806~73)

 「満足した豚であるより不満足な人間である方がよく、満足した愚か者よりも、不満足なソクラテスである方がよい」
 これは19世紀のイギリスの哲学者J.S.ミルの言葉です。ミルは、「幸福とは快楽である」という功利主義の思想家です。

 彼の師のベンサムは「最大多数の最大幸福」という言葉で、多数決を理論付けました。快楽の多い社会が「良い社会」と言います。ところがこれは利己主義とみなされ批判されました。

 そこで弟子のミルは、快楽に質の違いを認めて、先の言葉となったのです。
「一日三食の食事が与えられ、快適な家と寝床与えるから豚になれ」
と言われても、豚になりたい人はいません。優劣の差のある二つの快楽を経験した人は、質の高い快楽の方を選ぶからです。人間はより高い快楽を目指して成長する存在だと教科書では教える事になっているのですが、「なぜ?」と思う人いませんか?定職にも就かず、朝から酒を飲み、家でゴロゴロしている人が、「オレはこれで幸せだ」と言っていれば、それ以上は踏み込めないと思いませんか?

 私は、やはりそれではダメだと言います。食欲や睡眠欲を満足させる身体的快楽は生命維持の為には必要ですが、何のために維持するかが大事だからです。体という器を丈夫にしたら、中身を入れないともったいない。詩を作る、ピアノを弾く、英会話で見聞を広げるといった精神的快楽は生きがいとなり、人生を充実したものにしてくれます。せっかく頂いた人生だからこそ、大いに楽しんでいきませんか。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 人は完ぺきを求めるが、完ぺきな人はいない。 (ギズモ)

nice!(81)  コメント(2) 
共通テーマ:学校

nice! 81

コメント 2

U3

人間には思考する力があるゆえの悩みですね。
人には精神的快楽があるとの事ですが、下等動物(という言い方は余り好きではありませんが)には、身体的快楽すらありません。
それは生命維持こそが絶対的事実というか、生存本能という真実だからでしょう。
そこに快楽も功利主義も在りません。
by U3 (2023-10-22 11:30) 

サボテン

U3様、
 私もそう思います。思考は人を苦しめもしますが、そこから救い出しもします。私が不思議に感じるのは、身体的快楽か精神的快楽か分からない快楽も世の中にはあるのではないかという事です。パチンコ好きの人は、パチンコの玉が穴に入るのを見た瞬間快楽物質である脳内モルヒネが出るためにやめられなくなるそうですが、これは目から入る情報に起因する身体的快楽なのか、一儲けできそうと思考する事から来る精神的快楽なのか?つまらないたとえで申し訳ありませんが、快楽と言っても単純に二つに分けられない気がするのです。
 コメントありがとうございました。
by サボテン (2023-10-22 22:51) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

1946. 覚悟1948. ご連絡 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。