1019. 仏の自己 [宗教的感覚]
島根大学の松塚豊茂名誉教授が、仏教的な安住の境地は、「ニヒリズムを通り抜けた所にある」とおっしゃいます。大雑把にまとめてみました。
「『どう生きても、人生ははかなくつまらない』と考えるのがニヒリズム。一方『自分の力ではどうにもならないものをどうにかしようとする』のが迷い。そんな時、『どうにもならないものにも意味がある』と発想を180°変え、さらに『そこが大事』と180°変えてみる。すると360°回った世界は元の世界と同じだが、そこにはじたばたしない自分がいる。寂しさや虚しさを積極的に受け入れるこの境地を、道元禅師は、
『 峰の色 谷の響きも みなながら わが釈迦牟尼の 声と姿と 』
( 私の周りに起こる全ての出来事が、仏の真理なのだ )
( 私の周りに起こる全ての出来事が、仏の真理なのだ )
と歌った。嬉しい悲しいは人間の相対的な世界。全てを絶対的に肯定する自己が仏様の自己。」
すごい、すごい。早くこんな達観した境地にたどり着きたいものですね。
○松塚豊茂先生の対談 (「心の時代」の書き起こしなので長めです。)
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-778.htm
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-778.htm
** 高校生のコトバ **************************
川柳 : 使えない 引くのが面倒 古語辞典 (ケビィン)
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