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928. 祈り [宗教的感覚]

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                                作家の高村薫氏

 幼稚園の時、お弁当の前の「天のお父様、今ここにいただくご飯を感謝します。アーメン」というお祈りが実に苦痛でした。ところが、成人し高幡不動尊に参詣し始めてから、祈りに対する考え方が変わってきました。今は、毎朝職員室で行う数分間のお祈りが気持ち良くてたまりません。座っていても背筋が自然に伸び、両手が合わさります。シスターのお祈りと聖書解説が、清らかな清水のように心にしみ込んできます。

 作家の高村薫さんが東日本大震災後の岩手県の被災地で見た風景を語っていました。肉親を失い正常な生活を壊された人々は、ひたすら僧侶にすがります。「人々は何宗かも問わず、とにかく畳に額をすりつけて祈ります。」「祈りは、内的な衝動のように見えました。」「祈る事で自分が楽になります。」と。

 現代は、目まぐるしい速さで職業が盛衰し、大量の情報に見なくてよいものまで見えてしまう時代です。そんな中で自己決定を迫られる私達。この価値変化の激しい状況に震災直後の被災地が重なります。今の私にとって、祈りは呼吸の一部になっています。

** 高校生のコトバ **************************

名言: 育てるsodateruことは、おだてるodateruことである。(sをとれば) (K.A.)

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