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152. 歌舞伎の「間」 [雑感・気づき]

狂歌 : 「ありがとう」 小さな事に 浪費して 言うべき時に 言い忘れてる  (UNO)

歌舞伎の「間」
 先日、 歌舞伎「野崎村」を見てきました。

 場面は、 無実の罪で油店を解雇された久松(ひさまつ)が戻ってきた野崎村。 その久松との結婚を楽しみに待つ、 お光(おみつ)の嬉しそうな様子から始まりました。

 そこに久松と恋仲だった店の娘のお染(おそめ)やって来たのです。 死ぬの生きるのと一悶着あった後、 お染との結婚は無理と諭された久松は、 お光との結婚を決意します。

 結婚式当日、 花嫁お光の角隠しの下の髪の毛は切られていました。 久松の本心を察したお光は、 自ら尼僧になる事を決意したのです。 詫びつつお染と都に戻って行く久松。 それを見送るお光と父親。 見送る二人の心中は察するに余りあります。 遠くを見続ける二人は、 まるで人形のように一分間ほど動かず語らずの立ち姿でそれを表していました。

 客席も水を打ったように静まり返っています。 そして最後に、 お光は父の胸に泣き崩れていったのです。 歌舞伎の「間」の素晴らしさを学ばせてもらった一時でした。

 それにしても、 「久松の優柔不断さはなんじゃい!」 という気になりました。


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