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1803. 違い [ニュースより]

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                           れいわ新選組の天畠大輔議員

 「違いを尊重する社会」とは、よく聞く言葉です。全員に平等な教育を施している日本の教育制度はすばらしいものですが、誰にも一定水準を求める「平等」はどこまで認めるべきでしょうか。藤井聡太君や羽生結弦君のようなスーパースターに、三角関数まで修得させる必要があるとは思えません。私の高校時代、必修科目は一つでも赤点だと留年だと脅されました。しかし教員になって、必修の意味は「必・履修」であって「必・修得」ではないと知りました。履修とは基本的に3分の2以上出席する事です。私はこれでいいと思います。

 タイの僧は托鉢に出て食物を得ます。人々は、「修行僧は農作業などせず、仏道一筋に専念して欲しい」と喜んで食物を提供します。一人ひとりが違いを出し合い、認め合ってこそ良い社会ができると考えます。

 ところがこの「違いの許容」が難しいのです。10月に国会でれいわ新選組の天畠大輔議員が「あ、か、さ、た、な話法」という発話法で総理に質問をしました。介助者が「あいうえお」の板を手に発話者の意図を先取りして通訳する方法ですが、大変に時間がかかるものでした。しかしそこを我慢しないと、天畠氏はコミュニケーションがとれません。

 このやりとりを見て、「違いを尊重する社会」とは、人々に寛容と忍耐と人間愛が求められる難しい社会と気づかされました。かく言う私も、生徒や同僚に寛容や忍耐を強いてるのではないかと、気になり始めました。


** 高校生のコトバ ***************************

どどいつ :  すぐに疲れる 魔の月曜日 謎に元気な 金曜日 (俺達はサンマだ)

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