743. 愛の条件 [宗教的感覚]
「夕べの祈り」 (ミレー)
七夕祭りなどで、時々スピーカを高く掲げ独特の抑揚で「神ヲ、愛シナサイ。」と布教している宣教師を見かけます。熱心な姿は尊いと思いますが、私はあの言葉を聞くといつも「変だなあ」と感じています。
人に向かって「まずは愛せ」という命令が無理だと思うのです。順番が逆です。愛さずにいられない存在だから人は愛するのです。「愛さねばならない」と判断して愛するような「愛」は打算の産物で、偽物です。
私には、大船渡教会の山浦先生の「愛とは大切にするという事」という言葉がピッタリきます。(No.697) 自分がこの人から大切に思われていると感じた時、相手への敬意が生まれます。同様に、私は自分の身体、知能、出会いなど、神様から本当に「大切にされてきたなあ」と思えるので、神様を大切に考えています。先の宣教師の方も、まずは人々に神への感謝の念を持たせる事から始めるとよいと思うのですが。
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** 高校生のコトバ **************************
狂歌 : 水不足 テレビ見ながら 思うこと 日本の楽園 宮城県かな (T.T.)