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1723. なぜ神は助けないのか [宗教的感覚]

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         死者約6万人を出した1755年のリスボン大震災

 上智大学グリーフケア研究所の西平直教授のZoomによる公開講座「なぜ神は助けないのか」を受講しました。まだ思考中との事でしたが、大変勉強になりました。

 1755年の大震災について、当時の教会の教説、
「完璧な世界は存在せず、神は悪を最小限にとどめようとしている。今回の害悪も神がいたからこの程度で済んだ。」
との苦しむ個人に冷たい姿勢に、ヴォルテールは
「もし神がいるなら、なぜ痛み苦しむ人がいるのか」
と憤りました。一方ルソーは、
「神は宇宙全体を見ており、いかなる不幸も全体の幸福に寄与する。神は全体の保存のため個人の幸福を多少犠牲にする事もある。」
と、全体調和論を説きました。

 この「痛む個人か全体の調和か」という対立の他に、内村鑑三や渋沢栄一は「神の裁き」という天罰論を、芥川龍之介は「震災は自然災害であって天罰ではない。」との天災論を、田山花袋は「天災は諦めるしかない」との諦念論を説きました。先生は、「怒る神、裁く神、赦す神、慰める神と神は多様な顔を持つ。共に痛み苦しむ神もあるはず。私達に求められるのは積極的な『諦め』(大阪人の『しゃあない』)だ。」と締めくくられました。

 私は、この演題を「なぜ神は人間を助けないのか」に置き換えると答えが見える気がします。万物を創造した神であれば、人間も亀も山も月も全てが全体の調和の中では対等です。だから「格別人間だけをえこひいきするはずがない」が答えです。厳しいでしょうか?

** 高校生のコトバ

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