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1171. 蒙古襲来に学ぶ [地歴公民科]

 
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                               蒙古襲来の図

 1274年の文永の役では、3万人の元・高麗連合軍が博多に上陸しましたが、暴風雨が来て本土侵攻は果たせませんでした。二回目1281年の弘安の役は、南宋・高麗軍も含めた元軍14万人が襲来しましたが、御家人達が築いた石塁を越えられず、退散しました。なぜこれが幕府滅亡のきっかけとなったのでしょうか?

 理由の一つは、必死に祖国を守り石塁を築いた御家人達に、鎌倉幕府からは何の恩賞もなかった事です。この戦いは「守り」の戦いだったため日本は何も得るものがありませんでした。その一方で、北条一門はますます権勢をふるうようになったため、御家人達は幕府への信頼を失っていったのです。この「部下の信頼を失ったら終わり」という定めは、実は元軍にも当てはまっていました。屈服させた高麗軍や南宋軍を抱えた元軍は、そもそも忠誠心の薄い軍隊だったので、勝てるはずがありませんでした。

 もう一つは、当時の人々は、「次はいつ来るか」と戦々恐々の毎日で、精神的にも参っていた事です。元寇は二回と言い切れるのは、今の私達だからです。実は元は第三回遠征も企てたのですが、南の大越(ベトナム)の抵抗が強かったため、幸いこちらに攻め込めなかっただけでした。歴史を当時の人々の視点で学ぶ事の難しさを感じます。

** 高校生のコトバ **************************

狂歌 :  女子高生 一つの枠に くくられる だけどそれぞれ 違う人生 (クマのぷー子)


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