1150. お布施 [宗教的感覚]
弟子の一人がお釈迦様に聞きました。「財施と法施では、どちらが大事ですか?」するとお釈迦様は「法施だ。」とお答えになりました。「財は何年持つか分からないが、法は何年も残っていく。」という理由でした。この話を聞きながら、心のよこしまな私はつい余計な事を考えてしまいました。「どちらが良いか」と迷いながらするようなお布施は、本当のお布施とは言えないんじゃないか、と。
聖書にも、「あなたは,憐れみの施しをする際,あなたの右の手がしていることを左の手に知らせてはなりません。あなたの憐れみの施しがひそかになされるためです。そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの父が報いて下さるでしょう。(マタイ福音書 6章4節)」とありますが、“報い”を期待している限り、結局は自分のための行為に見えてしまうのです。
本当のお布施や慈善行為とは、我が子に対する母親の「居ても立ってもいられない」から行うようなものではないでしょうか。とはいえ、私自身そんな心境にはなかなかなれません。口だけの生意気な私で申し訳ありません。
** 高校生のコトバ **************************
狂歌 : 分かる時には 当てられないのに 聞いてない時 当てられる (S.K.)