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1613. A先生 [宗教的感覚]

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                仙台大観音 (高さ100m)

 勤務校に、キリスト教の授業を受け持っている50代のA先生がいます。儀式の時はパイプオルガンを弾き、聖書の朗読や解説も行い、まるで当ミッションスクールの司祭のようです。宗教以外にも現代社会や政治経済の授業を持っており、一日中校内を忙しく動き回っています。

 そんな彼には、一人の追っかけの女生徒がいます。なぜか彼女はクラスの仲間とはうまく話ができず、休み時間になるとA先生の所にやって来て悩み事を相談します。部長職もこなすマルチタレントのA先生は、忙しい中でも嫌な顔一つせずじっと耳を傾けて優しく相談に乗ってあげています。

 先日、私がA先生に

「まるで先生、慈母観音のようですね。」
と言ったところ、先生は、
「いえいえ、彼女が観音様なんですよ。」
とおっしゃいました。

 生徒に傾聴するあの姿は、確かに生徒から出てくる言葉を観音様のものと見る姿勢から来ているように見えます。聞き役に徹し、自分の意見を押し付けません。道元禅師が、『悉有は仏性である』と説いたのを思い出しました。山川草木、人も動物もあらゆるものは仏が姿を変えたもの、という感覚です。これを私も最近少しずつですが実感し始めました。幼稚園児を見ていると心が洗われる思いがするからです。宗教的に突き抜けた人は、何を見ても仏様に出会えるんですね。彼は私の目標です。


** 高校生のコトバ **************************

名言 :  先が見えない時は、先を見ないのが一番。   (ツボ探し)

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