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865. 祝福 [宗教的感覚]

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        ヤコブとエサウの和解 (フランチェスコ=アイエツ 1844年制作)

 読書会で旧約聖書の創世記第25~36章を読みました。少しずつ新約聖書と旧約聖書の違いが分かってきました。ここはイサク(No.840)の子供達エサウとヤコブの確執と和解の話です。

 『兄エサウは「長男の権利」を弟ヤコブに譲ってしまったため、父イサクが代々受け継いできた権力・財産・土地・子孫繁栄などの「神の祝福」を得られなくなった。それを根に持つ兄から身を守るため、ヤコブは母方の叔父の所に身を寄せた。しかし二十年後、彼はそこを逃げ出した。追手の叔父とヤコブはその後「神の祝福」によって和解し、さらに兄エサウとも再会する。兄弟は「神の祝福」を得て和解する。この後ヤコブは神から祝福されてイスラエルという名をもらう。』

 「神の祝福」は、旧約聖書では「現世的な富」や「神の加護」です。しかし新約聖書ではイエスは「現世的な富」を嫌い※1、さらに「神の加護」ではなく「主の御心の実現」を願っています。※2 新約聖書では、「神の祝福」は感謝の対象であっても、人が神に求めるべきものではないのです。一民族の生存のための宗教が、イエスによって民族や生死を越えた万人の希望の宗教に変革された事を感じました。

※1 マタイ5-3 「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。」
※2 マタイ26-39 「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」

** 高校生のコトバ **************************

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