279. 自己中 [宗教的感覚]
狂歌 : 正夢は 起こった時に 気がつけど 何のための 正夢なのだ (ドッグ)
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自己中
大学の市民講座で、 私の尊敬する哲学の先生が質問に答えておっしゃいました。
質問 「キリスト教は誰にでも無差別・無償の愛を求めますが、 クリスチャンでいらっしゃる先生の横にとても自己中な人がいても、 先生は平等な愛を実践できますか?」
先生 「実は私は、 家内からしょっちゅう 『あなたぐらい自己中な人はいない』 と言われているんです。 人間は他人の自己中に対しては敏感に感じるけれど、 自分の事となると全く気づかないもんなんです。 だから私は、 ただひたすら 『ごめんなさい』 と言って死んでいくしかないんです。」
先生「人を変えようとしても絶対に変えられません。 私が平等に人々のお手伝いしている内に、 いつの間にか相手の人柄が変わっているという事はあります。 これは私の働きではありません。 そしてそれは、 私が死んだ後かもしれません。」
お話を聴いてるだけで、 自分の生き方を反省させられました。 何もかも不完全な私のこれから取るべき態度は、 「他人はどうであれ、 自分の志に忠実に生きる事」 と理解しました。