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130. 一酸化炭素中毒 [思い出話]

川柳 : 追試験 筆記用具かくして 場所向かう  (KK.)

一酸化炭素中毒
 高校一年の冬、 私は火鉢の豆炭による一酸化炭素中毒で死にかけました。 今回は、 その時の体験をご紹介します。

 明け方、 私は全身がまるで敷布団に吸いつけられたように動けなくなりました。 指一本動かせないのです。 目も開かず、 大きく開いた口からはガーガーと大きな呼吸音が聞こえます。 やがて妹が鞄を取りに部屋に入ってきて私の様子に気づき、 両親を呼びました。 駆けつけた父が、 耳元で大声で 「お兄ちゃん、 聞こえるかー!」 と叫んでいます。 これらの全てを私は聞こえているのですが、 舌も唇もまぶたも全然動かせないので返事ができません。 父は、 「もう意識が無い。 窓開けろ。 医者を呼べ。」 と母や妹に指示しています。 やがてお医者さんがやって来て注射を打って下さり、 私は助かりました。しかしその後5~6年間、私は抽象的思考や記憶がしづらい辛い時期が続きました。 

 この時に再び命を頂けた事、今でも家族とお医者さんに心から感謝しています。 それにしても、 火事場でこんな状態になったら本当に怖い事でしょうね。 皆さん、 火の取り扱いには十分気をつけて下さい。


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