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1105. オリンピック [地歴公民科]

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                             古代オリンピックの想像図 (ウィキペディアより)

 いよいよ来年は東京オリンピック。「はたして日本は何個金メダルを獲れるか」と街の期待は高まっていますが、実はこの感覚は古代ギリシアのオリンピックのそれとは大きくかけ離れてしまっています。

 古代ギリシアでは、オリンピックは4年に1度ゼウス神へ捧げられる神聖な競技会でした。オリンピックを挟んだ3ヶ月間はあらゆる戦争が中止となり、殺し合っていた若者同士もこの期間は純粋に肩を並べて競技に打ち込めました。まさに平和の祭典でした。

 JOCのような委員会もなかったので、選手は全て個人参加です。「国のため」という重圧が無かったので、選手達は思う存分自分のために戦え、そして観客も立派な演技をした選手に心からの拍手を送っていたのです。1896年に始まった近代オリンピックも、同憲章第6条に「オリンピックは選手間の競技であって国家間の競技ではない」と書いています。しかし今やオリンピックは国威高揚の場となってしまいました。

 東京大学の橋場弦教授(歴史学者)は、オリンピックを個人対個人の競技の場に戻すべきだと語っています。私も、各種スポーツ大会のテレビ中継で、アナウンサーやタレントが日本選手を声高に声援する風潮からは、そろそろ脱していい時期だと感じています。

** 高校生のコトバ **************************

川柳 : 食べた後 すぐ出る言葉 眠いです (mp)

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