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795. 船村徹氏の生き方 [教育の話題]

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           2005年10月、コンサートで歌う船村徹氏。 

 いじめ問題もそうですが、クラス全体が変な雰囲気になりつつある時、「言えば嫌われるから言わない」という事って結構ありますよね。

 作曲家船村徹氏は、1932年に栃木県塩谷町に生まれました。青年時代は米軍キャンプでバンドリーダーを務めた事もありましたが、歌の世界がどんどんアメリカ化していく事を憂いた、尊敬する作詞家高野公男氏から「俺は茨城弁で作詞するから、お前は栃木弁で作曲しろ」と言われ、以後は日本人の心情を歌う曲を作り続けました。1955年に「別れの一本杉」で大ヒットを飛ばし、その後北島三郎や鳥羽一郎といった演歌歌手を数多く育てながら、5000曲以上を作曲しました。昨年文化勲章を受章しましたが、今年2月にお亡くなりになりました。弔問には2300人が訪れたそうです。愛する故郷にこだわり続け、欧米化していく日本の歌謡界を自力で変えた姿に大きな感動を覚えます。

 教室でも職場でも、何か変だと感じたら、自分が正しいやり方を積極的に示して多くの人を惹きつける事が効果的と感じました。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 貧血検査をすると必ず貧血になる。   (Y)

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