SSブログ

478. 判断停止 [雑感・気づき]

どどいつ : 大和町でも 大衡村でも 変わりはないと 僕思う  (ぷっちんぷりん)

-----------------------------------------------------------

判断停止
  試験監督で生徒達の氏名を確認していた時、 ふと不思議な気持ちになりました。 名前を呼ばれると私達はすぐに反応しますが、 名前は自分で付けたわけではありません。 私達は他人によって付けられた名前に運命的に縛られている、と感じたのです。

 すると私が使う言葉も同じだと感じました。 これも私以外の人から私に付与された 「道具」 ですが、 私が世界を認識したり自分を表現したりするためには、 これを使うしかありません。 もしこの 「道具」 を使わずに世界を見たら、 どう見えるのだろうと気になり出しました。

 その時、 窓の外の青葉山のきれいな緑が目に止まりました。 そこで私は、「青葉山」 とか 「きれい」 といった言葉による概念化や判断を一切停止し、 目の前に見える全体をそのままに見るよう努めてみました。 すると 「これって車を運転している時の私じゃないか」 と気づきました。 運転中は一々判断していませんから。

  結局、 言葉抜きで見た世界も特に変わった世界ではありませんでした。 人に何かを伝えるには、 やはり言葉は有効な 「道具」 です。 国語はしっかり学んでいきましょうね。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。