198. エッセイ [宗教的感覚]
どどいつ : 部活に勉強 テストに宿題 高校ここまで キツイとは (K.M.R.Y)
エッセイ
朝の放送朝礼で、 一編のエッセイが朗読されました。 アナウンサーの読み方が上手だったので、 みんなうっとりして聞きほれました。 まるでそれが彼女の作品のようでした。
エッセイの作者の考えは彼のパソコンを通して文字に、 文字を通してアナウンサーに、 そしてアナウンサーを通して私達に伝わります。 世の中は、 「○○を通して」 の連続のように感じました。 作者の考えすら、 神様が 「作者を通して」 送り込んできたかのようです。
なぜ神様は直接私達にその意思を示さないのかを、 勝手に考えてみました。
①実はあちこちで示しているが、 私達がそれらに気づいていないだけ。
②私達に、 それをそれぞれの得意分野で人に伝える喜びを感じ取らせるため。
③私達に自分の存在意義を実感させ、やる気を起こさせるため。
独断的過ぎますか? 皆さんのご意見も、是非お聞かせ下さい。