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211. テクニック [教育の話題]

24時間テレビの「感動」は、どこか押しつけがましい。  (ミネストローネ木村)

テクニック
 「心を操るテクニック」と書くと、 怪しげな催眠術のように思われそうですが、 今回の話はそうではありません。 皆さんが社会人や親になった時、 ちょっとした配慮で大きな効果を生むテクニックをご紹介します。

〇「イエス。 アンド」: これはNHKの白熱教室で語られていた話です。 議論の時、 相手の言葉を 「でも…」 と否定せず、 「いい考えですね。 一つ付け加えてもいいですか?」 と受けると、 話し合いは建設的に進むそうです。 さらに天井の高い部屋で、 しかも立って行うとより効果的だそうです。

〇♩=70: 子供達の泊まりがけの野外活動の最終日。 キャンプファイヤーの合唱曲の定番は 「遠き山に日は落ちて」 ですが、 実はこの曲の速さがとても大事なのです。 70より速いと、 その夜は枕投げなどで大騒ぎになります。 70未満だと、 しっとりと落ち着いて眠りにつきます。 70は子供の心拍数だそうです。 昔レクリーダー研修会で教わったテクニックですが、 これは確かに使えました。


210. 平和記念公園で [雑感・気づき]

「あれ」と「これ」とで 話がつながる 私の家族の テレパシー  (まみむめも)

平和祈念公園で
  娘の結婚式が沖縄であったので、 平和祈念公園に行ってきました。 ここには沖縄戦で亡くなった日米二十四万人の方々が、 石碑に名前を刻まれ祀られています。 自決した最高司令官牛島満中将の命令 「最後の一兵まで戦え」 があったせいで、 多くの命が失われたと言われています。 しかし私は、 平和な今の私達が、 当時の必死に生きる人々の言動を的確に評価できるとは思えません。 津波のような大きな時代のうねりの中で、 人々は自分達の取れる最善の行動をとった事と思います。 ただただ皆様のご冥福をお祈りするばかりです。

 園内バスの事務所と停留所があったので、 「次は何分に発車ですか?」 と尋ねると、 「間もなく来るよ」 との返事。 そして 「一つ前のバス停でUターンするから、 そこで手を挙げて乗ってね。」 と言われました。 バスは一人百円で、 運転手さんの解説の中ゆっくりと公園内を回りました。 リクエストするとどこでも降りてお参りできました。 本土には無いこのユルさ加減が、 何とも心地良く感じられました。


209. 登山道 [宗教的感覚]

狂歌 : 一日の いい事だけを 集めれば 人生ずっと 幸せだらけ  (A)

登山道
 イギリス国教会の司祭様と、 戦争について話す機会がありました。 彼は、 「世界の歴史は、 戦争で平和を築こうという試みの連続でしたが、 一つも成功しませんでした。 戦争で平和は築けません。」 とおっしゃいました。 宗教戦争も、 同じだと。

 私も同感です。 キリスト教対イスラム教、 プロテスタント対カトリックなどの戦いを、 神様はどうご覧になっているか是非聞いてみたい気がします。

 私は、  宗教を登山道のようなものと思っています。 たとえ登山道が違っても、 めざす山頂はどれも同じ場所です。 人それぞれに好きなルートを選べばいいのであって、 どれが正しいかなどは誰も言えません。 私がこんな自分の考えを話したところ、 司祭様は、 「そうです。 他人を見る必要も下を見る必要もありません。 ひたすら頂上を見ながら進んでいけばいいのです。」 と、 後押しして下さいました。 初めて、 ちょっと自信がついた気がしました。


208. 結婚式 [雑感・気づき]

川柳 : 本当よ! 必ずウソに つく言葉    (読み人知らず)

結婚式
  昨日は私の娘の結婚式でした。 式で私は涙ぐむのか、 それとも淡々といくのか、 事前には全く予想がつきませんでした。

 30分前にリハーサルがありました。 ウェディング姿の娘は、 今までで最高の晴れ姿を見せてくれました。 私の仕事は、 娘と腕を軽く組んで聖堂に入り、 彼女を新郎に引き渡すだけ。 でも緊張感はぐっと高まりました。 朝、 娘が娘としての最後の化粧を妻にしてくれました。 二人は感傷的にならないようにか、 幾分事務的な口調で会話をしていました。 それを思い出したらウルッときましたが、 こらえました。 そして本番。 左手をしっかりみぞおちに当てて一礼し、 娘と腕を組んで入場しました。 足並みを意識しながら進んでいったら定位置より先まで進んでしまい、 目の前に新郎の顔がありました。  あわてて下がってお辞儀、おかげで娘とのお辞儀も忘れそうになり、 もう散々でした。

 涙でも、 淡々でも無い、  いっぱいいっぱいの式となりました。でもとても幸せでした。


207. 願い [宗教的感覚]

名言 : 間違って友達に敬語を使ってしまうと、とても損した気分になる。  (モルマック)

願い
 「神様は、あなたの願いは何でも叶えて下さいます。 今あなたの願いが叶わないのは、 あなたにまだその準備ができていないからなのです。」

 私の好きな宗教学者のひろさちや氏が、 テレビの対談番組の中で取り上げていたインド人の神父さんの言葉です。 ひろ氏は、 この言葉を次のように解説しました。 例えば、 大学入試に落ちたら誰でもがっかりしますが、 考え方を変えれば気持ちはぐっと楽になります。 もし実力も無いのに裏口入学などで大学に入ったら、 辛い事が沢山待っています。 周りは実力のある人達ばかり。 少人数ゼミでは、 毎回赤恥をかかなくてはなりません。 その内大学に行くのも嫌になり、 入学金や授業料、 アパート代などの全てを無駄にして、 大学中退という履歴を残す事にもなりかねません。 だから、 この一年間は神様が私に勉強する時間を与えて下さったと考えればいいのです。 神様や仏様は、 いつも私にとっての最良の選択をして下さると信じればよいのです、 と。 私も全く同感です。


206. ウェストポーチ [思い出話]

どどいつ : 食べちゃいけない わかっているわ 私に食べ物 見せないで  (ぶた)

ウェストポーチ
 パリの女性スリ団の手口は大胆です。 海外での日本人観光客の特徴はウェストポーチとカメラだそうですが、 彼女達は日本人観光客を見つけると 「アンケート、 アンケート」 と近づきます。 首から吊ったボードをみぞおちの辺りで水平に保ち、 観光客がボード上の用紙に記入する間に、 ボードの下でウェストポーチを開けて中の財布などを盗むのです。

 三年前、 私達夫婦は子供達からパリ旅行をプレゼントされました。 その時の事です。 スリ団の話は聞いていましたが、 まさか私達が遭遇するとは思ってもいませんでした。 彼女達はアンケート方式では私達に相手にされないと分かるや、 私の前を歩いていた妻の帽子に手をかけて落とそうとしました。 妻があわてて帽子をつかんだ一瞬の隙に彼女のウェストポーチは開けられましたが、 私がすぐ追いついたのでスリ団は何も盗らずに逃げていきました。

 パリでは多くの物乞いの人を見ました。 この極端な格差がある限り、 治安の安定は無いと感じました。 また、海外旅行にウェストポーチは禁物だとも思いました。


205. 真理 [雑感・気づき]

狂歌 : 世の中を 汚くするのは 私達 きれいにするのも また私達  (パンダ)

真理
 スプーン曲げはできますか? 私はできません。 ところで 「スプーンは指先一つで曲がる」は、 真理と言えるでしょうか? 「同じ条件なら誰がやっても同じ結果が出なければ、 科学的真理とは言えない」 というのが常識です。 しかしスプーン曲げのように、 A氏にはできてもB氏にはできないという現実も、 結構あるものです。

 私は気功の稽古を十三年間続けていますが、 気の世界は実に不思議です。 気の力で他人を飛ばし自分も飛ばされる人、 人は飛ばせるけど自分は飛ばされない人、 逆に人は飛ばせないけど自分は飛ばされる人など、 人によって反応は様々です。 しかしそこには、 説明を超える現実が確かに存在します。 よって、 私にとって 「気の世界が存在する」 は真理です。

 米国の哲学プラグマティズムの 「有用性の真理」 とは、「ある観念を信じる事で効果が出れば、 それを真理とする」 というものです。 私はこちらの方がより大きな真理のように感じます。 小保方晴子氏が 「作った」 と発表したSTAP細胞の真偽問題から、 こんな事を考えさせられました。


204. 地の塩 [宗教的感覚]

川柳 : 消費税 割りカンの時 割り切れず     (Y.S.)

地の塩
 「あなた方は地の塩である。 …あなた方は世の光である。」(マルコ5-13)
イエスが聴衆に向けて語った言葉です。

 先週の朝礼で、 シスターがこの一節を解説して下さいました。 塩は、 昔から調味や殺菌・保存の手段として尊ばれてきました。 光は、 足元を明るく照らすと同時に多くの人々の目標となり、 また暖もとれる貴重なものです。 この塩と光を人間社会に置き換えると、 塩とは人々に潤いを与え、 悪を遠ざけ、 社会に安らぎをもたらす人。 光の方は、 世の中に明るさと希望を与え、 しかも心温かい人です。

 最後にシスターはおっしゃいました。 「聖書は、 私達にそんな人物になれと言っているのではありません。 私達は、 すでにそのような人物として生まれてきているのです。」 いいですよね、 この感じ。 きっと私達の奥深い所には、 まだ自分が見た事もないようなすばらしい自分がいるのでしょう。

 お釈迦様の晩年の言葉にも、 「自灯明、 法灯明」 (自らを拠り所とせよ。 法を拠り所とせよ。) というのがあります。


203. 未希さんの手紙 [ニュースより]

名言 : 努力が実を結ぶとは限らない。けれど実を結んだ人は必ず努力をしている。 (天パ)

未希さんの手紙
 東日本大震災の際、 防災無線で避難を呼びかけて亡くなった、 南三陸町役場職員の遠藤未希さんについてのNHK番組を見ました。 殉職は本当にお気の毒ですが、 人間の最期の迎え方の一つの理想を見た思いでした。 人は必ず死ぬのですから、 自分の死を他者の生に生かせたらこれに勝る亡くなり方はないのではないでしょうか。

 とは言え、 可愛がっていた我が子を突然失ったお母さんの苦悩には、 胸を突かれました。 当初は自分も死にたかったそうです。 というのも、 未希さんの希望していた職場より町役場の方がいいと未希さんに勧めたのが、 お母さんだったからです。 自責の念が彼女を苦しめました。 そんな苦しみの最中に、 遺品の中から未希さんが二十歳の記念に自分自身に向けて書いた手紙が出てきました。 その最後に、 「母さん私を生んでくれて ありがとう。」 と書かれてありました。

 ドキュメンタリーが、 まるでドラマのようでした。 お母さんはその手紙から再び生きる力を得て、 今民宿「未希の家」を建設し始めました。

 http://www3.nhk.or.jp/news/2013nikki/


202. 行方不明 [ニュースより]

どどいつ : 席替えしたいと 言う子に限って 席替えしたあと 文句言う   (12012)

行方不明
 マレーシア航空370便は、 どこに消えてしまったのでしょうか。

 緊急連絡も無く飛行機がレーダーから消え、 付近の海域からは何の浮遊物も見つからないという状況は、 何かとても恐ろしい気がします。 乗員・乗客239人のご家族の気のもみようは限界に達している事と思います。

 31年前、 柴田郡川崎町で「美樹ちゃん事件」という不思議な事件が起きました。 保育所からお祖父さんの運転する軽トラックで帰宅途中の美樹ちゃん(3歳)が、 お祖父さんが車を停めて近所の人と立ち話をした数分の間に消えてしまったのです。 車の助手席側の扉は開いていました。その後、 大々的な捜索や捜査、 霊能者による透視などが行われましたが、 いまだに発見されていません。 当のお祖父さんやご両親の心労たるや、 察するに余りあります。 ご両親にとって何より辛いのは、 亡くなったわけでは無いのでお位牌も作れず、 気持ちの上で中途半端な日々が続いている事だそうです。

 どちらの事件も、 一刻も早い真相究明を心から祈ります。


201. 迷い [宗教的感覚]

狂歌 : 辛くても 下を向かない 絶対に 全てのものを 見失うから  (嵐愛)

迷い
 AかBか本気で迷った時、 ひろさちや氏は 「デタラメがいい」 と言っています。 最近私もその考え方が正しいような気がしています。 もちろん、 じっくり考えれば目鼻がつきそうな状況でこれをやってはいけません。 現実逃避になります。 最後の最後までしっかり考え抜いて下さい。

 しかし、 例えば就職試験でA社もB社もどちらも魅力的で、 出願先を決めかねているような場合です。 そんな時は、 クジで決めるのがいいそうです。 会社の十年後の姿など、 誰も分からないのですから。 経験的に、 私も運を天に任せた瞬間から自分も天の一部になったかのように全てうまくいった事が何度かあります。

 三宅雪嶺氏が 「出来ると思えば出来る。 出来ぬと思えば出来ぬ」 と言っていますが、 何事も出来ると信じて進んでみましょう。 一点の曇りもなく信じられたら、 出来てしまうものです。 そしてそんな未来図を描く皆さんの積極的な行動が、 入社した会社を下から盛り上げていくのだと思います。


200. 期間困難区域の方々 [ニュースより]

川柳 : 再テスト 同じメンバー 勢揃い   (MATTO)

帰還困難区域の方々
 あなたが会社の社長さんなら、 採用に際して「収入の無い人」と「国からお金をもらっている人」のどちらを採りたいと思いますか。 たぶん、 前者ですよね。

 実は福島県の帰還困難区域などから別の市町村に避難している方々は、 国からの生活支援金が原因で幾重もの苦しみを味わっています。 この支援金が邪魔をして就職はままならず、近隣の人々からはねたまれ、 病院に行けば混雑の元凶とか医療費が安いなどと陰口をささやかれます。 さらにいつ自宅に戻れるか全く分からない精神的に不安定な毎日。 皆さんおっしゃっています、 「こんな金いらないから、 三年前の生活に戻りたい」と。 

 働く気力ばかりか、 仮設住宅から外出する気力も無くなってきているそうです。 生活再建のためのお金が再建を阻んでいるのです。 あるお婆さんは、 部屋で花の水やりに立ち上がるのもおっくうになったと言っています。 この状況は異様です。 早急にこれらの方々の生きがいの創出が必要です。

 そして私達の方は、潜在的危機を抱える原発を減らすため、贅沢な生活を少しずつでも縮小していきましょう。


199. 道具の進化 [学校生活から]

名言 : 体重計は息を吐き、胸囲の時は息を吸う。  (H.S.)

道具の進化
 昨日の試験監督中、 生徒のペンの握り方を調べてみました。 すると親指、 人差し指、 中指の三本できちんと握っている生徒は、 26人中2人だけでした。

 私が子供の頃は 「字が汚くなるから、 鉛筆はきちんと持ちなさい」 と指導されたものでしたが、 考えてみればパソコンやスマートフォンなど、手書きじゃなくてもきれいな文字が送れる時代なんですよね。 でもこんな時代だからこそ、 きれいに書けたらピカピカ目立つと思いますよ。

 ちなみに漢字が書けなくても読めれば生きていける今、 パソコン漬けの私の漢字力はみるみる落ち、 時々黒板の前で立ち往生しています。 道具の進化は、 私の身体的機能を確かに低下させています。

 でも先日のテレビで、脳波から直接文字を打ち出せる機械が話題になっていました。 64歳の筋ジストロフィーの患者さんが自分の意思を周りの人々に直接伝える事ができるようになり、 固かった表情がたちまち穏やかになりました。 何ともすごい時代です。


198. エッセイ [宗教的感覚]

どどいつ : 部活に勉強 テストに宿題 高校ここまで キツイとは    (K.M.R.Y)

エッセイ
 朝の放送朝礼で、 一編のエッセイが朗読されました。 アナウンサーの読み方が上手だったので、 みんなうっとりして聞きほれました。 まるでそれが彼女の作品のようでした。

 エッセイの作者の考えは彼のパソコンを通して文字に、 文字を通してアナウンサーに、 そしてアナウンサーを通して私達に伝わります。 世の中は、 「○○を通して」 の連続のように感じました。 作者の考えすら、 神様が 「作者を通して」 送り込んできたかのようです。

 なぜ神様は直接私達にその意思を示さないのかを、 勝手に考えてみました。
①実はあちこちで示しているが、 私達がそれらに気づいていないだけ。
②私達に、 それをそれぞれの得意分野で人に伝える喜びを感じ取らせるため。
③私達に自分の存在意義を実感させ、やる気を起こさせるため。
 独断的過ぎますか? 皆さんのご意見も、是非お聞かせ下さい。


197. がんばり [雑感・気づき]

狂歌 : テスト中 ヒマで始めた 落書きに 時間費やし 大傑作に (50%)

がんばり
 インターネットの世界を覗くと、 「がんばらなくていいんだよ」 といった 「心に響く言葉」 がよく見られます。 しかし高校生の皆さんに対しては、 私は少し書き足して 「四六時中がんばらなくていいんだよ」 と言いたいと思います。 人生には、 力を入れるべき所と抜くべき所があり、 そのメリハリをつけられない人が苦しんでいます。

 力を入れるべき所は、 今の自分が変われる場面です。 例えば、 朝の布団をはねのけて起きる所。 布団のぬくもりを超える充実した場面が外の世界には沢山ありますが、 まずは布団を出なければ始まりません。 同様に、 一見辛そうな場面の中に自分を大きく伸ばすチャンスが隠れています。 しっかり力を入れて臨みましょう。

 他方力を抜くべき所は二つあります。 一つは、 仕事の流れと結果を容易に予測できる余裕の場面。 油断せずにリラックス。二つ目は、 自分の力ではいかんともし難い予測不能な辛い場面。 こちらは神様におまかせ。 どちらも、一歩退いてしばし本来の自分に戻りましょう。


196. 愛について [宗教的感覚]

川柳 : 両親に 感謝しながら 親不孝   (ANIの彼女)

愛について
 「隣人を愛しなさい」とはよく聞く言葉ですが、 愛とは、 言われてすぐに実行出来るものではないと感じます。 「気づいたら愛してる」 のが実情であって、 愛は自分の思惑とは別に湧き起こる感情です。 神様に認めてもらうための「愛」や結婚するための「愛」、 さらには財産相続のための「愛」など、 打算のからんだ「愛」は一種の演技であり、不純さを感じます。 

 もし、誰もが母親の子供への愛のような純粋な愛を隣人に持つ事ができたら、 どんなに安らかな世の中になる事でしょう。 難しい課題ですが、 私は「感謝」がキーワードになると思っています。 この時代を生きられる事やこの家に生まれた事など、身の回りのありがたい不思議には感謝せざるを得ません。

 感謝とは自分が大きな愛に包まれている事の実感であり、 そこから喜びや希望が湧き起こります。 この至福の体験を相手と共有したいと願う気持ちが、 隣人愛につながるのではないでしょうか。 かく言う私自身、 隣人愛の実践にはまだまだ遠い未熟な自分を感じています。


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