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1427. 死者の復活 [宗教的感覚]

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                       「聖パウロの回心」(ミケランジェロ)

 キリスト教の最も印象的な部分と言えば、十字架上で刑死したイエスが三日後に復活したという話ではないでしょうか。しかし、朽ちた死体が再ぴ復活するとは何とも考えにくい話です。そこで今回、この「復活」が何を意味するのかを、聖書の中に探してみました。場所はパウロの『コリント人への第一の手紙第15章』です。

〇私は他の全ての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実は私ではなく、私と共にある神の恵みなのです。 (15-10)

〇「私達の主キリスト・イエスに結ばれて、私があなた方に対する誇りにかけて言えば、私は日々死んでいます(15-31)

〇死者の復活もこれと同じです。蒔かれる時は朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれる時は卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれる時には弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。(15-42-44)

 これら三つの内容を、私は「今の私の生き方は、イエスや両親等先輩の言動を核として構成されており、日々更新されている」と読みました。したがって「復活」とは、「私が死んでも、私の生きた姿は後輩たちの中で現実の私より力強く生きていくという事」だと感じたのです。

 しかしこれは今の私の感想であり、宗教は信じる人の数だけ真実がある事も認めます。宗教は奥が深く、興味が尽きません。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 「イライラは6秒待ったら静まる」と言われるが、それ位待てるならさほどイライラしていない。 (M)

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