840. アブラハムの試練 [宗教的感覚]
昨日の聖書読書会で、以前このブログで書いた旧約聖書22章の「アブラハムの試練」を読みました。(No.600) 短い箇所なので、内容は本文下のサイトで見て下さい。
「なぜ神はアブラハムに理不尽な子殺しを命じたのか?」が話題になりました。「彼の信仰心を試すため」という回答が多数派でしたが、私は疑問を感じました。「なぜ全知全能の神が、百歳でも子供を授ける程愛したアブラハムを試す必要があったのか?」というものです。
アブラハムは百%信仰の人でした。だから翌朝すぐに出発し、すんなり息子イサクを生け贄台に載せました。途中イサクから「生贄はどこにいるの?」と聞かれても、「神が準備して下さる。」と答えています。彼は、この「試練」の先に待っている何かを、むしろ期待の眼差しで望んでいるように見えます。案の定、最後に神はアブラハムに子殺しの中止を命じ、生贄用の雄羊も発見させました。
私は、この出来事はイサクに本物の信仰とはどのようなものかを示す鮮烈な教育になったと感じます。したがって「試練」という形はとっていますが、私はこれを神からアブラハム親子への大きな「ギフト」と思っています。
○旧約聖書22章「アブラハムの試練」
http://kokubuec.net/bible/bible028_2.html
http://kokubuec.net/bible/bible028_2.html
** 高校生のコトバ **************************
川柳 : 同じ服 着た人見ると 目をそらす (翼)