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1479. 聖書 [宗教的感覚]

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                        キリスト教最大の伝道者パウロ

 今日は「倫理」の中の旧約聖書と新約聖書の違いについて考えてみます。旧約聖書は天地創造から紀元前5世紀までの出来事が書かれたユダヤ教の教典です。ユダヤ教は「モーセの十戒を守れば、神はユダヤ人を特別な民として選ぶ」という契約が柱となっていますが、「守れば繁栄、破れば破滅」という厳しい宗教です。

 一方新約聖書はイエスの誕生から約百年間の出来事が書かれたキリスト教の教典です。愛の宗教とも呼ばれるキリスト教では、イエスが「神の国はあなた方の間にある」と言っています。「幸せ」は将来与えられるものではなく、すでに与えられている事に気づく事なのだというのです。パウロも「自分自身で事を定める力が自分にあるのではない。私達のこうした力は神から来ている」と言っています。

 将来の幸せのために自分を律する旧約聖書的な生き方は自由度が低い気がします。一方、困難の中にあっても、神のはからいを信じてのびのびと生きる生き方には自由が感じられます。パウロも「主の霊のある所には自由がある」と語っています。

 したがって新約聖書の生き方の方が理想となるのですが、私のような凡夫には、旧約聖書の掟のような指針がやはり必要です。両方大事だとは思いますが、ただ「気づき」という個人の飛躍を求めている点で、新約聖書の世界の方が頭一つ抜け出ている気がしています。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 自分の話だけでなく、私の話もさせてくれ。 (もち)

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