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1868. 祈りと取引 [宗教的感覚]

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                         エルサレムの神殿の模型

 聖書の中に、愛を説くイエスが大暴れした話が載っています。イエスがエルサレムの神殿に行った時、庭でいけにえ用の牛や羊などを売っていた商人達を見ました。その時彼は、「出て行け」と叫んで机をひっくり返し、牛や羊も鞭で追い出しました。(ヨハネによる福音書2-13)

 この理由を、多くの解説書はイエスが聖なる神殿で利益を得る商人に怒ったとありますが、宗教学者の若松英輔氏は、さらにいけにえを供える事で神との「取引」を行う参拝者の姿勢を怒ったと論じています。祈りとは、神と取引をする事ではなく、神の声を聴く事だからだと。

 私はドキッとしました。昔検診で肝機能の数値が上がった時、
「もう酒を飲みませんから、数値を下げて下さい。」
と祈ったら数値が下がりました。その後も顔面神経麻痺などの大病の際にはこの取引を行い、コーヒーやコーラもやめてきたからです。考え込んでしまいました。

 私も、若松氏の解釈には基本的に賛成です。ただ祈り(取引)に2種類あるように感じます。いけにえを買い、自分のすべき努力の代わりにそれを差し出す祈りはいけません。金持ちと貧乏人の間に不平等が生じ、それを平等主義のイエスが認めるはずがありませんから。しかし自分自身をいけにえとして差し出す祈り、すなわち自分を高める誓いを立てて願う祈りは、許されていいのではないでしょうか。認識違いがあるかもしれませんが、若松氏のお話から感じた今の私の考えを書き留めてみました。

** 高校生のコトバ **************************

狂歌 : プリクラで 顔を小さく 見せたくて 悲しいけれど 一番後ろ (やえそに)

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