1554. 大震災直後 [雑感・気づき]
河北新報に、東日本大震災当時小学5年生だった女性が語る記事がありました。まとめると次のようなものです。
**********
当時は空き巣が横行し地域が荒れていたため、私達もずっとピリピリしていました。先生が「震災の話はしないで」と言ったクラスもありました。「緊急地震速報」「津波」など、それを聞いただけで子供達が収拾つかなくなる単語があったからです。同級生が津波で亡くなった学級でした。
私の学級も、授業中に教室から消える子や勝手にしゃべり出す子など、震災前とは雰囲気が違っていました。先生がちゃんと怒ってくれたので、私は「見捨てられてない」という気になり、すごく助かりました。震災の話は私の学級でも話せませんでした。陽気な子でも父親が死んでるかもしれないし、「我が家は大丈夫」という言葉は自慢のように聞こえるし、被害の話は同情を乞うようで話せません。
先生も傷ついていて、しゃべりながら泣いてる姿を思い出します。ところが新聞記事は、「子供達は荒れてましたが、それに大人は気づけていなかった」と書きます。先生だって目の前で傷つき荒れてる子供を見て、「どうしたらいいか」とずっと悩んでいました。それぞれみんな思う所があって、それでもどうする事も出来なかったんだと今思います。
**********
震災直後といった特殊な状況を記事にまとめる事がいかに難しいか、この記事を読んで感じました。新聞記者の方も大変です。
** 高校生のコトバ **************************
名言 : 肉じゃがが何でお袋の味なんだ! (かびるんそん)
今日の高校生の言葉にいたく同感でやす。
あっしの母親は毒親だったので、料理らしい料理じたい、作ったことがありやせんでやした。
あっしの子供の頃の思ひ出の味は、喫茶店の様々なメニューでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2021-08-14 13:25)
ぼんぼちぼちぼち様、
それも本当にお気の毒でしたね。かつて御父上との懐かしい思い出を書かれていた記事を思い出します。それでも、お母さまを最期まできちんと面倒見られた事は、大いに誇りとすべき事と思います。人間、最後は自分をどう評価するかで人生の良しあしが決まると感じます。その意味で、ぼんぼちぼちぼち様の人生は素晴らしいものとなっているのではないでしょうか。
コメントありがとうございました。
by サボテン (2021-08-14 23:37)
お久しぶりです。先日、芥川賞候補作になったくどうれいんさんの「氷柱の声」を読んで、わたしは家を無くしたわけでも、大きな被害にあったわけでもないのですが、「声」にしていいんだ、実はすごく苦しかったんだ、と気付きました。10年経ちましたが、リアルに覚えています。当時小学生だった子達はより一層言語化しきれない苦しさみたいなのを抱えてそうだなと思いました。
by 元卒業生です (2021-08-26 22:06)
元卒業生です様、
GUESTという入り方があるとは初めて知りました。どなたでしょう?被災地区にお住まいだったんですね。「苦しかった」気持ちがこちらによく伝わってきます。
畏怖の対象となるような壮大な景色がどんなデジカメでも表現しきれないように、巨大な津波の恐ろしさは体験した人しか感じ取れないはずです。さらにそれを他人に伝えようとすると、どんな言葉を使っても矮小化されるもどかしさに、さらに苦しまされるのだと思います。古い戦争体験から今のアフガニスタンの恐怖政治まで、悲惨な事例は後を絶ちません。ここをどう生きるか、が問われています。できる範囲で、何としても平和な世界に向けて努力していきましょう。
コメントありがとうございました。また忌憚のないご意見をお願いします。
by サボテン (2021-08-26 22:29)