1257. ジレンマ [宗教的感覚]
信仰一途の敬虔なシスターと話していた時、私が「羽生弓弦君を見ていると、まるで神様がそこに降り立ったように見える。」と言ったとたん、「それはシャーマニズムという間違った考え方です。」と拒絶されました。彼女にとっては、唯一絶対の完全な神が不完全な人間に乗り移るなどという話は神を冒涜するものと映ったようです。
凡人の私は、「人によって信じる神が違っていてもいいし、神がいないと信じるのも自由だ」と思うのですが、宗教的な神秘体験を経た人は、安易に妥協できないんですね。溝は広がるばかりだと感じたので、会話は切り上げました。
教団に入り修行して信徒になると、見えて来るものがある反面、それを否定する人に対しては頑なになりがちです。「宗教的真実は、教団に入らなければ解らないが、入ってしまうと客観的に見られなくなる。」このジレンマの解決法は簡単に見つからないと思っていたら、来日した聖フランシスコ教皇が「どの宗教も共存は可能」と話されました。とことん修行を極めた方が、何と凡人の私の立つ位置に戻って来て下さったのです。これを励みに、私ももう少し宗教を研究してみようと思いました。
** 高校生のコトバ **************************
名言 : 嫌いな事を続けると、いつかは続けてて良かったと思う。 (チョコビ)
「シャーマニズム」が間違っているとすると、日本の神社には、徳川家康とか、歴史上実在した偉人を祀った「人神」というのがありますが、それはいったいどう解釈したら良いんでしょうね。
私は、「神様は自分の(心の)中にいる」という考え方にすごくリアリティを感じています。
by いっぷく (2019-12-29 01:30)
いっぷく様、
同感です。私も僭越ながら「神と私は一体なのでは」と感じています。聖書にも、「神は私達に、御自分の霊を分け与えて下さいました。この事から、私達が神の内に留まり、神も私達の内に留まって下さる事が分かります。」(『ヨハネの手紙』第四章十三節)と書かれてあります。私の人生とは、私が神である事に徐々に気づいていくプロセスなのではないでしょうか。コメントありがとうございました。
by サボテン (2019-12-29 22:32)
キリスト教とイスラム教の信者の方は特に、一神教でその思いは激しいものがありますね。でも、聖フランシスコ教皇が「どの宗教も共存は可能」と話されているように、宗教は色々あっていいのだと思います。私は仏教徒なので、仏陀を信じていますけれど。
by coco030705 (2019-12-30 10:38)
coco030705様、
登山道が違っても山頂は一つであるように、イスラム教もキリスト教も仏教も、めざす「真理」は同じものと感じます。そもそも不完全な人間が、「自分の登山道だけが正しい」と断定すること自体傲慢な事と感じます。どんな宗教にも原理主義という頭の固い人がいるもんですよね。自分も気をつけなければと自戒しています。コメントありがとうございました。
by サボテン (2019-12-30 17:47)