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1916.お盆 [宗教的感覚]

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                     お盆の迎え火・送り火 (フリー画像より)     

 お盆の送り火を無事済ませました。日々の幸せに思いを馳せ、先祖に感謝するこの良き風習は何とも心地良いものです。しかし高校生の頃の私は、このような宗教的行事には全く目が向きませんでした。いるかいないか分からない「霊」のために時間を割く位なら、自分のために時間を使った方がいいと思っていたのです。

 世の中、「やった結果」と「やらなかった結果」の違いが分からないという事は結構あるものです。例えば私は23年間気功の稽古を続けていますが、大きな病気は顔面神経麻痺一回程度です。やってきたからこの程度で済んだのか、しなくても同様の結果になっていたかは、検証のしようがありません。

 同様に、ご先祖様の「霊」が守って下さるから今の幸せがあるのか、「霊」の存在を無視しても同じ状態になっていたかも検証できません。ただ72年生きてくると、「あんな私がこんな幸せに与れる奇跡」と思える場面が何度も出て来るのです。だから私は、ご先祖様の「霊」は確かに存在し、私達一家を守って下さっていると信じています。

 「神」や「霊」は迷信で全ては偶然の成り行きと言う無神論の人もいますが、それとて証明できません。私は、宗教とは一本橋についた丈夫な鉄の手すりのようなものと感じています。下がどんなに深い谷間でも、それがあれば安心して前に進めます。そして自分が信じる道をとことん信じ抜く事が、安心の人生につながると感じています。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 親と似ているところ、悪いところは探さなくても見つかるものだ。 (M.N.)

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