SSブログ

1795. しつけ [思い出話]

Jean_Piaget_in_Ann_Arbor.jpg
               ジャン・ピアジェ博士 (Wikipediaより)

 私が小学1年生の時、母は2歳下の妹を連れて学校給食の手伝いをしていました。誰の面倒もよくみる優しい母でしたが、一度だけ烈火のごとく私を叱った事があります。友人のY君が家に遊びに来た時の事でした。

 Y君は負けん気の強い子でしたが、その日の私は自宅という事もあり、Y君には強気で接していました。やがて口喧嘩が始まり、私は「お父ちゃんもいないくせにッ!」と叫びました。母子家庭の彼は黙り、喧嘩は収まりました。

 Y君が帰宅すると、母は私を正座させ、「Y君がどんな気持ちになったか分かるかッ!」と涙を流しながら大声で怒鳴ったのです。そして、父親がいないだけでも辛いY君に、私はそれをえぐるような冷たい言葉をかけた事、Y君は反論できない悔しさを味わった事などをこんこんと諭し、翌日の謝罪を私に誓わせました。翌朝、私は教室でY君に前日の無礼を詫びました。

 あの母の激高が無ければ、私の自己中心的な言動は増長していたに違いありません。スイスの心理学者ピアジェは、2~7歳の子供は自己中心的な視点から抜け出せず、その後12歳頃までに様々な経験を通して他者の視点を手に入れるという『脱中心化理論』を唱えました。母のあの激高は私の貴重な経験となり、今も感謝しています。

 最近、友達のような親子関係がよく話題になります。それ自体は良いと思いますが、しつけに関してはあくまでも親がその第一責任者である事を忘れては
ならないと考えます。

** 高校生のコトバ ***************************

狂歌 :  三年間 コロナ自粛で ままならず 思い出一部 欠けて戻らず  (こはく)

nice!(84)  コメント(2) 
共通テーマ:学校

nice! 84

コメント 2

Enrique

素晴らしいお母様です。
そのような幼少期のしつけが教育者としてのサボテンさんの現在があるのだと思います。
「子供の意思に任せる」という親が多いのですが,十分大きくなったらそれでいいのですが,まだ何も分からない小さな子供にはしっかり諭して言ってやらないとダメなのですね。
by Enrique (2022-12-12 04:07) 

サボテン

Enrique様、
 もったいないお言葉、ありがとうございます。母はもう私が長男かどうかも分からない位認知症が進んでいますが、そのお気持ちは伝えさせていただきます。
 ネグレクト、過干渉、過保護と、極端な親の指導がよく話題に上りますが、現在進行形の「正しい教育」自体は判断が難しいんですよね。時間が経たないと結果は出ませんから。「親のパターナリズムは何歳まで有効か」といった問題一つをとっても、人は自分の親の養育態度を基準に判断します。しかし判断する自分自身がすでにその影響でバイアスをかけられてますから、その判断が正しいか否かはどう判断するかという難問にぶつかります。親は子供が小さい時はしっかり自らの価値観を伝え、一定の年齢に達したらスッパリその判断を子に任せる、この姿勢が大事だと考えます。正しい教育を考える時、私はキツネの親の非情な子離れの儀式を思い出します。それは真の愛情に裏打ちされた「責任というバトン」の引き渡しです。子供の幸せな人生を願うなら、子供がこのバトンを引き受ける態勢になった時から、親は子供の自己決定権を尊重して、求められた場合は別として子供の決断に干渉すべきではないと思うのです。それは概ね二十歳と考えます。私は、「親の勧める縁談」よりは「駆け落ち婚」の方が幸せになれそうな気がしています。長くなってしまい申し訳ありません。
 コメントありがとうございました。
by サボテン (2022-12-13 23:42) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

1794. トレンド(趨勢)1796. 嬉しい事 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。