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1951. あさま山荘事件 [思い出話]

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                        あさま山荘事件

 あさま山荘事件から50年が経ちました。1970年に日米安保条約が自動継続され、この無力感の中で若者の一部が先鋭化し、連合赤軍という過激派集団を作りました。彼らは武装闘争を唱え、71年から群馬県の山岳アジトで軍事訓練を行いましたが、その間に仲間12人を「総括」と称するリンチで殺しています。

 72年、彼らの内の5人が警察に追われて長野県軽井沢のあさま山荘に立てこもり、管理人の妻を人質にとって警察と10日間対峙しました。銃撃戦で警察官ら3人が犠牲となり、27人が重軽傷を負っています。全員逮捕され、首謀者の坂口弘が死刑、他のメンバーも全員実刑となりました。

 この事件は異例の長期にわたる人質事件となり、警察突入の2月28日のテレビ視聴率は歴代トップの89.7%を記録しています。私も、クレーンにぶら下げられた大きな鉄球が、ドカーン、ドカーンと山荘の壁を壊していく音を今も鮮明に覚えています。

 「民衆のための革命」を唱える彼ら自身が、「自分の利益」を目的化した武力闘争に転化していったのです。これは、人々の救済を唱えながら、内部では殺人を合理化していったオウム集団とそっくりです。過激派もカルト集団も、純粋な心を揺さぶる耳あたりの良い言葉で若い学生を誘います。目的がどれほど理想的でも、勧誘する人の視線に「違和感」を感じたら、一旦その場から遠ざかる事が必要です。

** 高校生の゜コトバ **************************

狂歌 : 人々の 真面目に生きる 姿見て ふと考えてみる 己の生活  (M.M.)

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ゆうのすけ

もう半世紀なんですよね。
あの日は テレビがつまらなかった!朝から晩まで同じ場所がどの局も映ってましたものね。私はまだ4歳。事件のことも理解できる年ではなかったし 鉄の球が建物に当たるのが なんだかわからないけれど 良いことじゃない 怖いということだけは感じてましたね。☆彡
by ゆうのすけ (2022-02-24 01:09) 

サボテン

ゆうのすけ様、
 4歳の子にとっては、あの光景は異様だったでしょうね。ずぶぬれで逮捕された坂口被告が笑っていたように見えたのも不気味でした。あの時代、街には藤圭子氏の「圭子の夢は夜開く」が流れ、新宿交番ではクリスマスツリー爆弾が爆発しと、世の中全体がカオス状態でした。各地の学生活動家達が集まった大集会では、赤軍派の学生達は黒ストッキングで顔を隠し、不動の姿勢で全員起立していました。まさに軍隊組織という感じで怖さを覚えました。
 コメントありがとうございました。
by サボテン (2022-02-24 12:29) 

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