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1488. 慰め [宗教的感覚]

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                        64年前に幼稚園の卒園式で頂いた新約聖書

 クリスチャンでもない私ですが、次の聖書の言葉に出逢った時は、目からうろこが落ちました。

 『神はあらゆる苦難に際して私達を慰めて下さるので、私達も神から頂くこの慰めによって、苦難の中にある人々を慰める事ができます。』(コリントの信徒への手紙Ⅱ1-4)

  慰められた経験が人を慰める力になると読みました。私は人生で3回どん底に落ちています。1回目は16歳の冬で、一酸化炭素中毒から回復したら、数学のような抽象概念を扱う科目が理解出来なくなっていた時。2回目は27歳以下という年齢制限のある宮城県の教員採用試験を27歳で受験して失敗した時。3回目は41歳の検診で異常が見つかり、肝炎の種類を特定するよう宣告された時です。

 いずれも目の前が真っ暗になりましたが、脳の機能不全は大学在学中に突然回復し、教員採用試験は三年後に規制緩和となり合格できました。肝機能は精密検査で「異常なし」でした。自分の力では何ともし難いこれらの状況から、私は大きな力よって救われてきました。したがって、昨年顔面神経麻痺に襲われた時も、私は「これも神様からのメッセージ」と受け止める事が出来ました。この感覚が「慰められている」感覚だと感じたのです。したがって、この実体験を伝える事が悩んでいる人への私の務めと信じ、今は生徒の相談等にこれらを利用しています。

** 高校生のコトバ **************************
名言 : 「聞いても怒らないでね」で始まる友達の話は、絶対に怒らずにはいられない。   (P.N.トリ)


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暁烏 英(あけがらす ひで)

とてもいいお話です。人間万事塞翁が馬ですね。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2021-04-04 12:28) 

サボテン

暁烏 英様、
 ありがとうございます。「人間万事塞翁が馬」は、「人生のきっかけは予測しない形で現れる」という事をうまく表しているなあと感じます。「禍福はあざなえる縄の如し」にも通じると言われますが、私は自分の経験から、「一見『禍』に見える出来事も、新しい自分を創るきっかけになるので、実は一種の『福』なんじゃないか」と考えています。したがって私は『禍』は全て天罰と考え、そこに隠されたメッセージを考えるようにしています。こうすると、もう一度やり直す気力が出てくるもので。どうも生意気な事を書いて申し訳ありません。
 コメントありがとうございました。
by サボテン (2021-04-04 22:25) 

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