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1435. 見えるか見えないか [宗教的感覚]

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                          弟子たちの前に現れたイエス (ルカによる福音書より)


 勤務校で宗教の授業を見学しました。教材は聖書の「ルカによる福音書」の24章13~35節です。(要約は以下の通り)

 イエスが処刑された三日後、二人の弟子が歩いているところに復活したイエスが現れ同行するが、二人はイエスと気づかない。イエスは彼らに自分の事について色々尋ね、旧約聖書の中で多くの預言者達が自分について書いている事を話して聞かせるが、歩行中彼らは気づかなかった。宿に入って食卓につきイエスがパンを割いた時、初めて彼がイエスだと気づいた。その瞬間イエスの姿は見えなくなっていた。

 イエスは「最後の晩餐」の時、パンを手で割いて弟子たちに分け与えました。二人は、同行者にその姿を見た時、彼がイエスだと気づいたのです。授業では、「イエスは別の姿でご自身を現わされたが、私達の周りにも色々な姿を借りて現れている。特に貧しい者・弱い者としていらっしゃるので、フードバンクなどを通して積極的に係わっていきましょう。」と結んでいました。

 先生の意図が上手く伝わる事を祈りながら見ていましたが、私としては感じる所がありました。関心を抱いている人に、神様は時々奇蹟を見せてくれます。それを偶然と切り捨てずに「神様の技」と見えるようになったら、その後の人生そこここに感謝の種を見出します。ことさら神様が出て来る必要はありません。「見えるようになったら、見えなくなった」というこのたとえ話、奥が深いと感じました。

** 高校生のコトバ **************************

川柳 : 再テスト みんなで受ければ 怖くない (めい)

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