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1126. 宗教的感覚 [宗教的感覚]

 
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                            こんな看板見たことありませんか?

 時々「死後さばきにあう」と書かれた小さな看板を見ます。それを見るたび、「裁きが怖いので『隣人愛』を実践する人は、本当に善い人と言えるだろうか?」と考えてしまいます。たとえそんな人に「愛」されたとしても、私は結婚したいとは思いません。

 聖書講読会で、新約聖書の「テサロニケの信徒への手紙2」を読む事になりました。これは、パウロが弾圧の厳しくなってきたテサロニケにいる信徒に書いた励ましの手紙です。

 「イエスの再臨の前には、神に反逆する『不法の者』が出現して人々を惑わす。しかし彼らは復活したイエスによって殺され、彼らに従っていた不義の人々はその罪によってイエスに裁かれる」
 「あなた方はイエスの教えを固く守り続けなさい。敵対者に関りを持たないようにしなさい。しかしその人を敵とはみなさず、兄弟として警告しなさい。」

 キリスト教も仏教も好きな私ですが、まだまだ未熟者なので、人間は「白か黒か」の二者択一で生き方を決められるものではないと感じています。善い人と言っても、「白っぽいグレー」といった所が現実ではないでしょうか。

 「裁かれたくないからきちんと生きる」のでは、本当の自分を生きていない気がします。むしろ、「正しいと思う方向に舵を切ってみたら、予想外の力を頂いた」という実感が、宗教的感覚なのではないでしょうか。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 足の遅いヤツに限って妙に持久力がある。  (T and K)

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