SSブログ

1109. 翻訳 [宗教的感覚]

thumb_martin_luther-2.jpg
                             ルター(1483-1546)

 英語の「rice」を日本語に翻訳すると、「稲、米、ごはん」となります。稲とご飯では姿形が大分違いますが、「胚を持ったでんぷんの粒」という本質は共通です。

 聖書のマタイによる福音書に、「疲れたもの、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」(11-28)という一節があります。勤務校のフランス語の先生によると、聖書を初めてドイツ語に翻訳したルターは、大胆にもここを「元気づけてあげよう。(独 erquicken )」と訳したそうです。この相反する二つの語句「休ませる」と「元気づける」に共通する本質は何かを考えてみました。

 私はそれが「信仰心」なんだろうと感じます。正しい事を黙々とし続ける人を世人誰もが尊敬するわけではありません。陰で悪口を言う人等、必ず行く手を阻む人が出てきます。そんな人々に囲まれ孤独感に苛まれた人が、祈りの中で神様から「それでいい。心配するな。」との声を聞いたら、それは大きな慰めであり、同時に勇気づけになる事でしょう。信心深い人にとって、この二つはは同じものと感じます。

 信仰心薄い我が家でも、我ら老夫婦、「近頃、耳が遠くなった」等と言っては「加齢、加齢。」と慰め合っていますが、これもまたある意味励まし合いになってます。

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 一緒にいて楽しい人より 離れていると寂しい人がいい。  (まちゃあき)

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

1108. 先輩の援助1110 試練 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。