1179. 最期 [地歴公民科]
ある時、米国に住んでいた42歳の末期癌の主婦が、最期は自宅で迎えたいと家族と共に帰ってきました。激痛があり、薬は家族が持ち帰って服用させました。翌々日の朝、死相が出ているとの母親からの連絡でご自宅に急行しました。
彼女はか細い声で、まだ状況が分からない三歳の娘に「危ない事をしちゃだめよ」と諭し、その後歯を食いしばって母親の手を握って聞く八歳の息子に、「お兄ちゃんなんだから、聡子ちゃんをお願いよ。パパの言う事をよく聞いてね。」と話しました。母親には自分が先に逝く事の不幸を謝り、そしてご主人に「いつものようにして」と頼みました。彼が少しためらうと、「二人でして欲しいの」と頼み、妹さんとご主人の二人に体をさすってもらい、その後亡くなりました。
彼女は自らが主となって亡くなりました。この見事な死から、村松さんは、人の最期は病院の機械に囲まれて自分を出せずに逝くのではなく、心のつながった家族に思いをしっかり告げて自分を委ねるべきと考えました。この後松村さんは、様々な抵抗を排して訪問看護という制度を確立し、今や訪問看護ステーションは全国に一万カ所以上できました。この良いお話に、涙がこぼれました。
** 高校生のコトバ **************************
狂歌 : 一人暮らし してみてわかる ありがたみ 感謝の言葉 今も言えずに (ぶーちゃん)
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