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886. 時 [学校生活から]

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              コヘレトの言葉 (インターネットより)

 「貧乏は、自然の目的(快)によって測れば大きな富である。これに反し 際限のない富は大きな貧乏である。」 (エピクロス)

 倫理の授業で枯淡の境地ともとれるこんな思想を扱っていると、何人かうなづいて聴いてくれる生徒がいます。十代でこの境地に至る人は「本当にすごいなぁ」と感じます。でも「その若さなのに、これでいいの?」とも感じてしまいます。高校時代はギラギラした欲望に突き動かされる時期だと思うからです。

 この相矛盾する私自身の感覚をどう調和させるか悩んでいたところ、礼拝で読まれた旧約聖書の一節に解決のヒントを見た思いがしました。それは、「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(旧約聖書 コヘレトの言葉 第3章1節) というものです。

 学習で得た知識も、「時」が至ればある日実感に変わります。「時」の到来は人それぞれ。実感という真実も人それぞれ。気づく時期に早い遅いはないんですよね。先哲の思想の学習は、「時」が来た時に「これだよ、これ」と共感できるよう今予習しているのだと感じました。

似ていることわざ
 「貧乏人とは、多くを持たざるものではない。多くを欲する者のことを言う。」 (スウェーデンのことわざ)

〇旧約聖書 コヘレトの言葉 第三章
https://www.wordproject.org/bibles/jp/21/3.htm#0

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 出席番号と同じ日は、授業中緊張する。  (と)

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