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600. 賢者 [宗教的感覚]

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               イサクを捧げるアブラハム ( ローラン・ド・ラ・イール 1650 )

賢者
 私は、道徳と宗教は目的が違うので「別もの」と考えてきました。(No.309) 例えば、旧約聖書の中のアブラハムの話。彼は、百歳でできた可愛い子イサクを生贄(いけにえ)に差し出せと神から告げられます。 (創世記22) 彼は生贄台に息子と進みました。息子を台に寝かせ、短刀を振り上げ、とどめを刺そうとした時、神は「殺すな」と止めたのです。アブラハムは宗教的には立派でも、道徳的には子へ虐待を加える悪い父親ではないか、と。

 しかし今、私はこれが「半端な愚者」の考えと感じています。イサクは父を、父は神を心から信じています。それに応えて、神も止めました。信じ合う世界の中では、道徳も宗教も一つになっていると感じたのです。私達がどう動けば神がどう応えるかを知っている人が、真の賢者なのではないでしょうか。

 「愚者と賢者はともに害がない。半端な愚者と、半端な賢者が、一番危険なのである。 (ゲーテ

** 高校生のコトバ **************************

名言 : どんどん大人になっていく私、どんどん子供になっていく祖母。 (元素L)


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