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91. 若いお坊さんの言葉から [宗教的感覚]

若いお坊さんの言葉から
 
坐禅終了後の茶話会での事です。 一人の参加者と、 永平寺から戻ったばかりの若いお坊さんとの間に、 次のような会話がありました。
「永平寺ではたくさんの規則に縛られて、 うっとうしく感じませんでしたか?」
「そんな事を考える暇もありませんでした。」

 このやりとりを聞いて、 私は初めて開祖道元禅師の「ねらい」が分かったような気がしました。 永平寺では、 修行僧の一日の全ての所作に細かい規則が設けられています。 それらは八百年前に禅師が定めて以来、 厳格に守られてきています。 「人は誰でも内側に仏を持っている」 と信じる禅師は、 自分の中の仏に出会うためには、 「欲にとらわれた自分を捨てよ」 と言っています。 でもそんな事、 日常生活の中では無理です。 そこで志の高い人々は、 あえて永平寺のような規則づくめの厳しい生活に身を置くのでしょう。 それらの規則を無我夢中でこなしている間、 彼らはこの若いお坊さんのように自分自身の欲望から遠ざかっています。 時が経って全ての規則が習慣化された頃、 彼らの中には欲望を上手にコントロールできる人も生まれているに違いありません。 煩悩を消すために修行するように見えますが、 実は修行中に煩悩のない境地は実現されているんですね。

  という訳で、「修証一等」 (修行と悟りは一つだ)の意味と禅師のねらいが、 その時ストンと腑に落ちた気がしたのです。


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