カレイの煮つけ



 夕食でカレイの煮つけを食べていたら、ちょっと不思議な気持ちになりました。生活の中で、いかに自分の関与が少ないかを感じたのです。


 噛んでいる内に舌と歯が小骨の存在を私に知らせてくれました。もちろん私は小骨を口から出しましたが、この行為は私が「能動的」に捨てたというより、体から知らせてもらって「受動的」に捨てたものです。この時、生命維持の主体が替わった事を感じたのです。


 喉元を過ぎた食物は、私の意識や意思の届かない世界に送り込まれます。私の体は、全身麻酔で手術を行う外科医のように、私の知らない所で私のために働いてくれます。食物は食道から胃に送られますが、体に悪いものは嘔吐という形で戻されます。胃液中の酵素でタンパク質が分解され、その後ゆっくり十二指腸に送られて栄養素が体に摂り込まれます。この過程で私が関与できる余地はありません。


 同様に私の人生も、「わらしべ長者」のように良くも悪くもご縁のつながりで続いてきました。至る所で「きっかけ」は私が作ってきたのですが、色々あってもこんな具合に今は楽しく生きています。これがよく言われる「生かされている」実感だと気づきました。


 「結果良ければ全てよし」とはよく聞く言葉ですが、私は「きっかけ作れば全てよし」という方が正しいように感じます。高校生の皆さん、将来どう咲くか分からない種でも、チャンスがあればどんどん蒔いてみてください。


** 高校生のコトバ **************************



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  (Chip & Dale)