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1704. 不要不急 [宗教的感覚]

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                    龍雲寺住職 細川晋輔氏

 「このコロナ禍で、不要不急の坐禅会はすべきでないという話が出て、私は本当に迷いました。長年続けて来た坐禅会を私の代で中止するのは何とも残念だったからです。さらに『不要不急』という言葉も、坐禅会が社会的に不要なものと評価されたようで落ち込みました。」

 臨済宗妙心寺派龍雲寺の住職細川晋輔氏が語っていました。氏は、まるで答えの出ない禅問答に苦しむようだったと言います。禅問答とは、公案という難問に坐禅を通して答えを見つけ出すものです。これは知識や経験では解明できず、知識や経験を捨てたところに答えが見えてくるのだそうです。

 そんなある日、細川氏の祖父の龍源寺住職松原泰道氏の言葉「生ききる」が思い浮かびました。泰道氏は、人間は遊ぶにせよ、食べるにせよ、あらゆる瞬間を生ききる事が大事とよく語られていたそうです。細川氏は、それなら「分からない」も積極的に受けとめそこを生ききろうと、インターネットで坐禅会を始めました。氏は「わからない」世の中に安らぎを与えるのが宗教だと言います。

 全く違うかもしれませんが、その感覚何となく分かります。私も「分からない」の価値は、「分からなくてもよい」といったものではなく「分からないからよい」のであり、それを考え続ける所に生きる意味があると思うのです。自分の寿命や恋人の本音など、分かってしまたらガッカリかもしれませんから。

〇龍雲寺のインターネット坐禅
https://www.youtube.com/channel/UCseGvO4BSIL2FCtxXGiRvpA/featured

** 高校生のコトバ **************************

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