1862. 意識のアップロード [雑感・気づき]
渡辺正峰准教授 (渡辺氏のTwitterより)
テレビで、東大の渡辺正峰准教授が、「人の意識をコンピューターにアップロードして残す事ができる」という、意識の不老不死論を語っていました。要点は次のようなものです。
****************
脳は電気回路であり、ここに電流が流れて感情や意識が生じる。現在てんかん患者に対して右脳と左脳を分離する脳梁離断術という手術が行われている。手術を受けた患者は、右半身と左半身が勝手な動きをする時がある。これは左右の脳それぞれに意識が存在する事を示している。健常な私達は、右脳と左脳が神経線維で繫がっているので意識は一つと感じている。
意識のアップロードはこの性質を利用する。脳を右脳と左脳に分離し、その仕切りに小さな器具を入れる。ここに脳同士を繋ぐ神経線維を左右から繋ぎ、それらの電流をコンピュータに送る。するとコンピュータ内に右脳(と疑似左脳)と左脳(と疑似右脳)の二つの意識が発生する。やがて生体脳が無くなっても、この疑似左脳と疑似右脳をコンピュータ内でつなげば当人の意識をコンピュータ内に残す事ができる。
****************
渡辺教授は、人格を「過去の記憶の電子的集合体」と考えます。しかし私はそれを「生存や尊厳を指標に生成変化するもの」と考えるので、コンピュータ内の人格は入力された情報に左右されるロボットに過ぎないと感じます。不老不死を願うより、価値ある生き方を求める方が何倍も良い人生を送れると思うのですが…。
〇この記事の番組「カズレーザーと学ぶ テーマ記憶」
https://tver.jp/episodes/ept0caplor
** 高校生のコトバ **************************
川柳 : テストとは 自分がいいと 人もいい (番茶)
テレビで、東大の渡辺正峰准教授が、「人の意識をコンピューターにアップロードして残す事ができる」という、意識の不老不死論を語っていました。要点は次のようなものです。
****************
脳は電気回路であり、ここに電流が流れて感情や意識が生じる。現在てんかん患者に対して右脳と左脳を分離する脳梁離断術という手術が行われている。手術を受けた患者は、右半身と左半身が勝手な動きをする時がある。これは左右の脳それぞれに意識が存在する事を示している。健常な私達は、右脳と左脳が神経線維で繫がっているので意識は一つと感じている。
意識のアップロードはこの性質を利用する。脳を右脳と左脳に分離し、その仕切りに小さな器具を入れる。ここに脳同士を繋ぐ神経線維を左右から繋ぎ、それらの電流をコンピュータに送る。するとコンピュータ内に右脳(と疑似左脳)と左脳(と疑似右脳)の二つの意識が発生する。やがて生体脳が無くなっても、この疑似左脳と疑似右脳をコンピュータ内でつなげば当人の意識をコンピュータ内に残す事ができる。
****************
渡辺教授は、人格を「過去の記憶の電子的集合体」と考えます。しかし私はそれを「生存や尊厳を指標に生成変化するもの」と考えるので、コンピュータ内の人格は入力された情報に左右されるロボットに過ぎないと感じます。不老不死を願うより、価値ある生き方を求める方が何倍も良い人生を送れると思うのですが…。
〇この記事の番組「カズレーザーと学ぶ テーマ記憶」
https://tver.jp/episodes/ept0caplor
** 高校生のコトバ **************************
川柳 : テストとは 自分がいいと 人もいい (番茶)
当方も見ました。むしろ名古屋の澤田誠先生は学者らしい話で足が地についている感はありました。こちらの人の話は話題性はあるにしても,では具体的に脳の電気化学信号をどうコンピュータに取り出すのか,そこのインターフェースをどうするのか?(ひょっとしたらもう開発済み?)アップロードと言うよりダウンロードではないのか(単なるバックアップでは?)澤田先生が指摘した様に,脳内記憶とコンピュータの記憶は質的に違うのではないか?できたとしてもコンピュータに子孫を残すと言う目的はあるのか?といったいくつもの疑問が残りました。
by Enrique (2023-02-25 23:09)
Enrique様、
私も全く同感です。生き残るために進化してきた私達ですが、このシステムのおかげ(せい?)で死ねなくなったら、子孫を残す必要が無くなるので、恋愛感情も変質しそうです。それどころか、意識はあるのにおいしいものが味わえない、たとえ好きなパートナーができても顔も見られない、手も繋げない、声も聴けない…。意識はあるのに新たな感覚が入ってこないコンピュータ内の人生は真っ暗闇の地獄のような日々ではないでしょうか。10年前に書いた「脳だけを生かす事」のブログを思い出しました。
http://manabino-tsudoi.blog.so-net.ne.jp/archive/20130523
言い方がきつくなって申し訳ないのですが、渡辺先生は「1本の木」だけに目が行っているのに対し、名大の澤田先生は森をしっかり見ている気がします。人間の神経は1対1ではなく、1対多で繋がっているので、そんな簡単には切ったりつなげたりできないという反論は、私の腑に落ちました。
今回もコメントありがとうございました。
by サボテン (2023-02-26 22:00)