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1827. 宗教心と宗教集団 [宗教的感覚]

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                          小柴昌俊東京大学特別栄誉教授

 ノーベル賞を受賞した小柴昌俊教授と、ダライ・ラマ法王との対談を読みました。

 小柴教授が尋ねました。
「一神教の信者は『自分は絶対に正しくて、向こうは正しくない』と言い、その中間がない。この宗教観の相違が、戦争の原因ではないでしょうか?しかし仏教では、仏陀のための大戦争を聞いた事がない。21世紀は仏教のような心の広い宗教の出番ではないでしょうか?」

ダライ・ラマ法王は、答えました。
「いや、私はそうは思いません。キリストも立派だし、ムハンマドも立派です。それを信じている人が、教理を自分の集団に都合のいいように解釈している所に問題があるのです。」

 また別な会場での、
「現代科学からみたらナンセンス、こんな事は起こりえない。」
という質問には、
「仏典を変える用意があります」と
答えています。

 著者の村上和雄筑波大名誉教授は、現代はこのような「しなやさを持つ宗教」が必要であり、原理主義・選民主義の宗教はそぐわないと書いています。


 私も全く同感です。教団や教義の為に信者に犠牲を強いる宗教は似非宗教であり、詐欺集団です。彼らは大学構内などで『自己啓発』を語る場合があります。皆さん、進学先では十分気をつけて下さい。自分と神(Something Great)との対話は、常に1対1。個人の宗教心と宗教集団とは別物です。  (「神(サムシング・グレート)と見えない世界」(矢作直樹・村上和雄共著)より)

** 高校生のコトバ **************************

名言 : 映画の主人公は、最初はやる気がない事が多い。  (ジャンキー)

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