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1793. アポトーシス [雑感・気づき]

 
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                       赤く色づいたもみじ

 最近、木にしがみついている数枚の枯葉を見て、自分の髪の毛や人生まで考えてしまいました。我が家の周辺には黄色い銀杏並木や茶色のケヤキ並木があります。その間にはひときわ鮮やかな真紅のもみじも見られます。

 秋になると、木は冬眠準備のため、水分の蒸発しやすい葉を枝や幹から落とします。そのため、葉はその前に貯めてきた栄養分を幹に戻します。真っ先に戻すのが、栄養分の溶け込んだ緑色のクロロフィルです。その後赤色のアントシアニンという物質が作り出されるため、葉は赤く変わります。地表に落ちた葉は地面の乾燥を防ぎ、微生物やキノコなどが暮らしやすい環境を作ります。また落ち葉は様々な微生物によって分解され、土壌に養分を供給します。

 どんなにしがみついても、葉は必ず木から振り落とされます。そこで準備のできた葉は、自ら離層を形成して落ちていきます。生きるための死、すなわちアポトーシスですが、おたまじゃくしの尾が無くなるように、アポトーシスはより大きな全体を生かすための積極的な営みです。大事なのはその全体なんですね。

 私が自分の知識を皆さんに伝えて死んでいくのも、大きな命のサイクルに貢献する事になるのだろうと感じます。何となく死への使命感を覚えてきました。願わくば、人様のお役に立つような死に方をしたいものです。
 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ (良寛)

** 高校生のコトバ ***************************

川柳 : プリクラで 誰か分からず 絶望感   (エンド)

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コメント 2

hide-m

「どんなにしがみついても、葉は必ず木から振り落とされます。」の言葉が身に沁みます。人間も同じように死んでいくのだな・・・。と実感です!
by hide-m (2022-12-06 18:46) 

サボテン

hide-m様、
 小さい頃、死はただただ恐怖の対象でした。祖父母や父が亡くなり『順番』の概念が強くなりました。そして何人かの生徒の霊的体験を聞いたり、新品デジカメのシャッターがお仏壇や原爆資料館内の何点かの遺品に切れなくなかった体験から、目に見えるこの世界以外に確かに別の世界があると思えるようになりました。『生きる』という事は体験的に死への恐怖が薄れていく事という気がしてなりません。偉そうな事を書いてしまい申し訳ありません。
 コメントありがとうございました。
by サボテン (2022-12-06 21:34) 

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