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1762. 剣道とキリスト教 [教育の話題]

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                    剣道の練習 (フリー画像より)

 私の勤務校は、「誰かがあなたの右の頬を打つなら,左の頬をも向けなさい。」というイエスの教えを学ぶミッションスクールですが、中学生の剣道部が全国大会で準優勝してきました。一見キリスト教と矛盾するように見えますが、これが全く矛盾しないのです。

 イエスの言葉は、悪人に対する私達の正しい態度を示しています。「不法に打たれたから打ち返す」という姿勢は暴力の繰り返しを生むだけなので、打たれる勇気をもって相手に自身の非を気づかせる方がよいという思想です。しかし剣道は防具をつけた上での合法的な打ち合いなので、大いにその技を磨いて問題ないのです。

 剣道部の顧問は若い女性の先生ですが、彼女は生活指導や教科指導にも全力で取り組んでいます。その真摯な姿が生徒に薫陶を与え、剣道部の生徒達は実に礼儀正しい学校生活を送っています。

 今日学校の広報紙が配られ、その中に『14人全員で掴んだ全国大会』という彼女の文章が載っていました。そこには部員達への優しさと厳しさ、そして周りの人々への感謝の気持ちが書かれてありました。その一節に彼女の人生哲学を見ました。
 「…生徒にいつも話している事がある。技術がいくら優れていても、日常生活で隙があればそこを試合で打たれる。…」
 試合も日常生活の延長上、というこの感覚は、そのまま入学試験にも通じます。一つ事に打ち込んできた人の言葉はずっしり重いと感じました。

** 高校生のコトバ **************************

川柳 : 懐かしむ あの頃よりも 今楽し  (名有りさん)

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Rifle

彼女の哲学は、そのまま人生にも通用しそうです。
他人のせいにしたり、「まぁいいや」と手を抜いたり後回しにしたりすると、そのツケは結局自分で支払う事になりますから。
by Rifle (2022-10-04 08:43) 

サボテン

Rifle様、
 私も同感です。人生どこかで手を抜いたら、必ずそこが弱点や盲点になって、思わぬ時に痛い目に遭いますよね。しかしこれを逆に考えると、人生のどこかでものすごく努力を尽くした分野が一つでもあれば、それは思わぬ時に大きな力になって私を助けてくれそうです。人生帳尻は合うようにできてる気がします 
 コメントありがとうございました。
by サボテン (2022-10-04 16:17) 

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